〜ヨルダン篇 そのいち〜
天然資源が少ないため、観光に力を入れているというヨルダンの街並みはシリアに比べると整然とした印象があります。
港町アカバではリゾート化を進めるために、ホテルの建設ラッシュです。
おもしろいのは、「トラベル・ポリス」の存在です。観光地に必ずいます。だけど具体的な職務が分からない。笑。観光客向けの案内所なのかなあ、おまわりさん。
ですが、なによりも大統領ポスターから解放です。国王のポスターがいたるところに張られていますが、シリアの洪水に比べればかわいいもの。だって国王のポスターは笑顔多いし!(関係あるのか。)
さて、チップのことですが。みなとはいまいちこのシステムが分かりません…。
だけど、公衆の海岸に設置されている公衆トイレで、明らかに清掃していないおばさんがみなとたちにチップを要求してきたのは間違っているでしょう?!しかも出入り口に仁王立ちですよ、通せんぼ。ナニモノですか。
何とか押し退けて、ガイドさんにこういう場合チップは必要なのかと聞くと、あれはいらない、
勝手に居座っているだけですからという返事でした。どこでもおばさんってバイタリティありますねえ。
一方で。「ここのトイレはチップ制ですよー。」と聞いていたので、コインを用意していくと、確かにほうきを持った青年が立っています。ですが、チップを入れる箱が置いてなければ、持ってもいない。じーっと見ているだけ。
えーーーーっと。すいません、こちらもどうしていいかわからないので、いったんスルーしました。
で、遺跡を観光して戻ってみると、ガイドさんとくだんの青年がぼそぼそと話し合っています。なんだなんだ。
「すみません、彼が、僕にチップを誰もくれないんだけど、どうしよう。今もらってもいいですか、と聞いているんですが…。」
気ィ弱っ!!もうちょっと自己主張したほうがいいよ、あのおばさんレベルになれとは言わないけど!
ますますチップについて混乱しています。苦笑。
=ロレンス関連=
トマス・エドワード・ロレンス。第一次大戦のとき、イギリスから諜報員として送り込まれアラブ独立を支援し、オスマン帝国を脅かす。しかし、イギリスの二枚舌外交に失望、(三重に利害が衝突する協定を結んでいたんですよね、たしか。アラブの独立、イスラエル建国支援、フランスと共同統治。むちゃくちゃだなおい。挙句、エルサレムを中心とした紛争を処理できなくなって、国連に統治を委任するという超無責任行為にでています。現在の中東紛争元凶のひとつ。)帰国しバイク事故により死去。
『アラビアのロレンス』という映画で知名度が高まったようです。(まだ見たことないけど高校の世界史の図録にワンシーンが掲載されていました。)
ヨルダンには彼のつくった軍事基地等が多く残されています。
まずは
ワディ・ラムです。
広大な赤い大地の上に、赤い砂岩が岐立しています。長年の風の浸食により独特の光景になっています。
石器時代より人が暮らしていた痕跡があり、紀元前6世紀ごろのサミディア族の言葉や、1世紀ごろのナバテア人の線画などが残されています。
『アラビアのロレンス』撮影も行なわれました。実際ここにも司令部を置いていたらしいです。
ナバテア人の線画は
ハズアリ峡谷という場所にあります。入口には野生のイチジクの木がありました。
隊商の通過点ということで、岩の隙間から集めた水を売って生活していたそうです。
この峡谷がねえ、ほんとひと一人が通るのがやっとという狭さ。ちょっとした岩場歩きです。両側に岩が迫っているので日陰でとても涼しいですが。
巨人や動物の絵がなかなかユーモラスです。コーランの一説が彫りこまれてもいましたが、これはかなり時代が降るはず。
砂の色がほんと赤と言うか、朱ですね、とてもきれいな色をしています。半透明の石英も朱に染まっていました。甲子園の砂のごとく、ちょっとだけいただきました。
ついでに黒い運動靴も真っ赤になった…。
この地は湧き水などが出ており、ロレンスの泉などがあります。ロレンスの名を何でもつけちゃうそうで、「あれがロレンスの山です。」とガイドさんが言っていましたが、同じような山が並んでいてどれのことかさっぱりだ。
ロレンスの泉の前でベドウィンのテントが張ってあり、お茶にお呼ばれ。たぶん観光客向けだろうなあ。
ここでふるまわれたハーブティは4種のブレンドだとか。えーとカルダモンと………なんかいろいろ。(待て。)ホットティなんですが小ぶりのグラスで出してくれます。そういえば運転手さんが休憩時に飲んでいたチャイなんかもガラスでした。陶器ではないんですよねえ。
ここではちゃんと持ち手がありましたが、基本的にはないです。なみなみとこぼれる寸前まで注ぐので、熱くて持てなかったりします。苦笑。
お茶用の小さいやかんに直接茶葉と水、あとハチミツを入れて、薪で沸かす、というやり方みたいです。
次に
アカバ要塞。
海水浴場のすぐ近くです。オスマン帝国の軍事施設でロレンスがアラブ革命軍を率いて攻め込んだとされる。ナツメヤシの木が周囲を覆っていました。
この近くに、アラブ連合の旗を掲揚している場所があります。紅海を挟んで2キロ先のイスラエルからも見えそう。そこには旗の持つ意味も説明されていますが、現在このアラブ連合は存在しません。もともとは一つの国家として独立をしようとしていたのに、第一次大戦後のずさんな戦後処理により細分化され、今では一つになるにはあまりに政治体制が違いすぎるのでしょう。 その旗を未だに、補修を繰返しながら揚げ続けるヨルダンという国は複雑だなあと。
実はこの旗、60メートル×30メートルと超巨大なものです。ささえるポールの円周も一体何メートルだ。この旗が常になびいているんだから、風の力ってすごいですねえ。
最後に
アズラク城です。
玄武岩によって作られている黒い砦で、3世紀ごろローマによって建設、ウマイヤ朝、アイユーブ朝の修復を経て、ロレンスがアカバの戦いをこの砦で指揮したことで知られています。
この砦の入口の扉は一枚岩でできているのですが、重さは2トンあるそうです。油を流すことによって、ひと一人の手でも開閉ができるようになっているとか。
では、と試してみると、確かに動くけど結構重いよーやるな2トン。きっちり閉めることはできませんでした。ちっ。まあ、びくとも動かせなかったおじさまもいたことだし良しとしよう。(よくない。)
ゲリラ戦を指揮しただけはあって、司令部をこんなところにおいたり、随分と神出鬼没だったのだなあ。
=旧約聖書関連=
まずは
ネボ山です。
標高は710メートル。死を目前にしたモーゼが「約束の地カナン」を見、死後は埋葬されたと伝えられているそうです。
4〜6世紀ごろには教会と修道院が建てられており、現在も発掘調査が続いています。
みなとたちが登った時は遠くが霞んでいましたが、ヨルダン渓谷から死海を一望に見渡すことができます。霞んでさえいなければエルサレムも見えたのにっ。
それにしても、よくこの不毛の大地を人民を引き連れ40年間も放浪し続けたものだなあ……。
教会内は牧畜の様子を描いたモザイクなどがあります。組み紐のような文様などちょっと変わっています。聖書とはあまり関係なさそうな絵柄ばかりなんですが…そういったお話もあるのかなあ…。
次にマダバの
聖ジョージ教会。ギリシア正教の教会で、世界最古のモザイク地図があることで有名です。なんと床に、です。エルサレム、ベツレヘム、イェリコ、死海などの部分が残存しています。恐らく、信者が巡礼のために利用したのではないかとのこと。
…………これでは…迷子になるような……。
地図と言うより絵という感じです。エルサレムは城壁で囲まれ、その中には家が建て詰まっているのですがミニチュアのようでかわいらしいー。死海から河へと泳ぐ魚の表情もぼうっとしていておもしろいです。
ガイドさん曰く。
「この魚は死海の水がしょっぱすぎたので、河に逃げているところです。」
ほんとかそれ。
それから、
ヨルダン考古学博物館。
ここには、イスラエルのクムランで発見された
死海文書の一部が展示されています。キリスト教的に(というか新約聖書的に。)まずい内容が書かれているということで、ローマ法王庁に封印されたとも噂されるいわくつきの文書です。もっとも、この文書自体、誰が何の目的でといったこと、はたしてユダヤ教の正当か異端かもはっきりしていないようで、謎が多いそうです。
写真オッケーの博物館だったので撮りはしましたが、
読めるわけがないです。ヘブライ語なぞ読めませんよ。
この博物館は他にも、世界最古の人型像「アインガザル」が何体かあります。
………うつろなのに、なんでこんなに目だけが強調されているのだろう…。シリアでもそうだったのですが、中東地域の古代人物像はとにかく目。異様に目だけが強調されています。イスラム教でもファティマの目は災いを防ぐっていうのがあったような。
それより不思議なのは、身体はひとつなのに頭はふたつという形態でしょうか。
それは人なのか…?どういう宗教というか哲学観念なのか誰か教えてください。
=遺跡=
最初は
ジェラシュ遺跡。
とにかくすごいの一言。ローマ時代の町がまるごと残されているようなものです。なんで世界遺産じゃないのか不思議なくらい。……ええ、これにも理由がありまして。発掘された時期が早かったため、復元に一部セメントを使用したことで、資格がなくなったそうです。みなとも初めて知ったのですが、復元する際には、同じ工法・原材料を使用しなければならないそうです。もったいなー!
アレキサンダー(の武将?)によって町が建設されたとも言われていますが、本格的な繁栄はローマの五賢帝時代だったようです。ビザンティン時代に入ってからも、15の教会が建設されるなど繁栄が続きますが、大地震によって次第に衰退していきます。
フォーラム、ローマ劇場もきれいでしたが、アルテミス神殿とその門から続くカルド・マキムス(幹線道路)、ニンフェウム(噴水)が圧倒的でしたねえ。アルテミス神殿に残る列柱のたもとに座るなり寝転ぶなりして空を見ると、何本も伸びる列柱の先に砂漠の濃い青空だけがあって、ちょっと古代人の気分です。
カルド・マキムスの石畳もほてほて歩いて、改めて建造物の大きさを感じたり。もっとも、途中でダッシュかまさなくてはならなくなりましたよ炎天下に!←集合時間をうっかり忘れていた。
競技場ではグラディエーターごっこ…ではなくて、古代ローマの競技を観光用に行なっています。有料らしく、横からのぞき込もうとしたらえらい勢いでおじさんにおっぱらわれました。ち。でも競技場外でローマ兵たちがへたりこんでいるのがなんとも。お疲れ様です。
アイーラ遺跡は7世紀ごろに栄えた街の遺跡だそうです。ホテル建設ラッシュのところでひょっこりでてきたりするらしい。掘ると遺跡が出てくるような歴史の古い街はある意味大変ですよね……。
そして、
クセイル・アムラ。
ウマイヤ朝カリフ、ワリード1世によって離宮として建てられたものですが、見た目はしょぼ…いえいえ小さいです。砂漠の真ん中にぽつんとある感じ。
ですが内部のフレスコ画がすごいです。裸婦像があるんですよ、まずこれが信じられない。なかなかに肉感的です。色彩もだいぶ傷んでいるとはいえ豊富。数多くの動物や人物がところ狭しと描かれています。熊みたいなのが弦楽器を弾いていたり。
そして浴室のドーム型の天井には天文図が。たぶん、北極星を中心に描いているような…大熊とか龍がいるし…。黄道十二宮もかな。
それにしても、カメラフラッシュ禁止にしてないけど大丈夫なのかなあ。(でもフラッシュないと暗すぎるし…。)
=その他=
とりあえずは浮いてきました、
死海にて。
浮きすぎです。尻が浮いたら泳げないって!浮き方が分からずじたばたしていたら、外国人のおばさまにえらい剣幕で怒られました。
なぜかというと、塩分濃度が高すぎるので、水が目に入ったりするとちょっと大変なんですよ。目が開けられないくらい痛いです。ぎゅっと目を閉じて涙で流すしかないです。
コツをつかめば、あとはあおむけでぼけーっとぷっかぷっか浮いていました…沖に流されました……。寝ていたらイスラエルまで行きそうです。(無理だから。)
泳ぐことができないので、移動したい時は水中ウオーキングしてました。
スークには行きませんでしたが、かわりにスーパーに買い物に行きました。
カートがでかいです。買い物カゴはないです。どんだけ買い物するんだ。
で、食料品の棚とか眺めていたのですが、油とかどう見ても5リットルくらいありそ…業務用ですか。すべてがキングサイズですどんだけ食べるんだ。
魚などは氷の山に直接突き刺さっていました。たぶん、周りの氷ごと袋に入れるんでしょうねー。
すごいのはレジです。
日本ではカゴ→バーコード→別のカゴ、ですが。こちらでは本人がカートから直接テーブルに商品を置いて、店員がバーコードに通した後、
ベルトコンベヤーに乗せる。本人がベルトコンベヤーの先で待ち構えていて、次々袋に入れていく、という感じでした。
……まあ、あの量ですから。
意外にスーパーっておもしろいです。