2007年07月16日

あらびあほてほて。その15。

〜写真 そのご〜





はい、今回で終了でございます。(長すぎ。)

全部ペトラでの写真です。



4_1
シク。800メートルくらいこの峡谷の間の道を歩きます。ローマ時代の石畳もちらほら残っていたり。





8
エル・ハズネ。見上げる。シクの終点に現われます。ここにいたトラベルポリスのおにいさんがかっこよくて思わず写真を一緒にとってもらいました。アラブ式に短剣をベルトの正面にさしていたのだー。(ポイントそれなのか。)





2_7
コリント風の墓。王の墳墓群のひとつ。かなり風化していますが、岩の色がすごくきれいです。このあたりの見学ルートは一部渡し板だけ、とかなかなかアドベンチャー。





12
こういった岩の連なりも、よく見ると墳墓跡とかあって油断が出来ません。が、ここからは階段の嵐だったのでそれどころではないです。苦笑。





4_2
エド・ディル。ひとがごみのよ(略)と思わず叫びたくなりますごめんなさい。中をのぞいても二階部分に上がる方法が分からないんですよね。実際は一階しか使ってなかったのかなー。
posted by みなと at 10:19| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月13日

あらびあほてほて。その14。

〜ヨルダン篇 そのに〜






はい、やっとヨルダンのメイン、ペトラ遺跡でございます。『インディー・ジョーンズ 最後の聖戦』の舞台にもなったとか。(覚えてないなあ…。)

みなとが行ったときは、『新世界七不思議』の投票真っ最中で、ホテルやペトラのインフォメーションやらに投票のためのパソコンが設置されていました。ちなみにこの『新世界七不思議』、ユネスコ関係ないらしいのですが、どこの団体が主催しているんだろう…。それより日本から選ばれているのが清水寺っていうところも微妙です。どこが謎なんだ。法隆寺の方がよっぽど…他にも奥州藤原氏のミイラとか邪馬台国とか。(それは多分地雷です。)



それは置いておいて。

遊牧生活を送っていたナバテア人が紀元前6世紀ごろにペトラに定住、アラビア半島からエジプトへの交易路の要衝であったことから、紀元前1世紀ごろに空前の繁栄をとげます。しかし、ローマ帝国五賢帝時代に併合され、交易路の移動から徐々に衰退し、地震などの天災もあって6世紀ごろに放棄されます。残された遺跡にベドウィンが住み着いていた痕跡が天井の煤などからも見出されますが、そのベドウィンたちによってペトラの存在は秘されていました。19世紀にスイス人探検家によって発見されます。





=ペトラ・ナイト=




ペトラ行ったらこれは参加されることをおススメします。



観光の前日にペトラに入ったのですが、オプションで、20:30から『ペトラ・ナイト』があるよー、とガイドさんから案内がありました。

これはペトラのホテルが合同で行なっているイベントで、ペトラ遺跡の入口からエル・ハズネまでの道をロウソクだけで照らし、エル・ハズネでちょっとしたイベントを行うというもの。エル・ハズネというのは、写真でよくある、両側に迫る岩壁の隙間からのぞいている建物です。最も保存状態がいいのかな。



ただ、次の日に遺跡の観光が控えているとなると、なかなか冒険です。実はこのエル・ハズネまで片道約2キロあります。エル・ハズネからさらに奥行きが拡がっています。添乗員さんから「明日は10キロ歩きます。」宣言が。へたれみなとはさんざん悩みましたよ。

参加表明したら、みなととあと一人だけでした…。



で、ヨルダンでずっと一緒だったガイドさんですが、なかなかに曲者でして、ええ、ジョークが。

ペトラ・ナイトの集合場所に、ガイドさんと添乗員さん、で、参加者2人で行ったのですが。登録をしてきたはずのガイドさん、えらく深刻な表情です。



「実は、今夜のペトラ・ナイトが急に中止になったとかで…。明日に延期だそうです。この周りの人たちは、それでなんとなく帰れずにいて話しているらしいのですが。」



………はい?ちょっと待って、さすがに明日はきついよ?10キロプラス4キロってなんの罰ゲームやねん。



沈黙。



にやん。



「うそですよー。ちゃんと今夜ありますよー。」



飛び蹴りかましましたが、みなとは悪くないはずだ。



閑話休題。

で、さっそくチケット持ってペトラ遺跡へ。明日もこのルートを歩くわけですが。

夜の遺跡に入るというのは初めてですが、ほんとうに静かです。馬小屋がゲート近くにあるのですが(観光客向けの馬車のため。)一頭の白馬だけが道脇の小高い所に立っていました。なんていうか、ぞくっとするほど青白い。



初めはロウソクも道の片側だけなのですが、シクという谷間の道に入ると両側になります。このあたりになると、星明りとロウソクの灯だけで岩が照らされていて、すべてが青白いんですね。ぼんやりと光っているみたいです。

目も慣れてきますので、懐中電灯なしでも問題ないです。



そして岩の裂け目から、下から青白く照らされたエル・ハズネが現われます。

地面一面にロウソクが立っています。人工照明いっさいないです。狭い谷間からぐわっと視界が広がるわけですが、赤いロウソクというか燃えているような地面もきれいだし、初めて見たエル・ハズネは想像以上に大きくて、光が届かない所は暗い闇に溶けていく感じで幻想的。それ以上に、星空があんまりにすごくて。道々、街灯がないと星がきれいに見えるなあと眺めていましたが、エル・ハズネとの組み合わせが、なんというかがーんときました。



で、順々に敷いてあったゴザに腰を下ろして、ベドウィン風にハーブティを振る舞ってもらえます。

そして、二人の奏者によるベドウィンの音楽の披露。横笛と弦楽器でした。

ころんと転がって、視界の隅にエル・ハズネとそびえる岩壁、満天の星を眺めながら静かな音楽に耳を澄ますって、今みなとはものすごく贅沢な時を過ごしているんじゃないかと思いました。



ロウソクは非常に簡単なつくりで、紙袋の中に砂を敷き詰めて重石にし、その上にロウソクを立てているだけです。

で、このあほうは帰りもふらふらと空を見ながら歩いていて、ロウソクを1個踏み消しました。ぎゃあああ。

固まっている間に流れ星が飛んだのですが願いはかなったかなー…。(ばれませんように、ばれませんように…。)





=ペトラ遺跡=






本番です。10キロです。ここで添乗員さんからの注意事項。



「遺跡内のロバにはけっして乗らないで下さい。ロバはこけます。骨折された方がいますので。」



軽く脅迫です。だけど観光中見ていたら、ほんとにロバってつるっつる滑るんですよ!おっとっと、と半回転したり。乗っているベドウィンの人たちは軽く中腰の体勢でうまく操っていましたが、あれは乗馬体験ないと危険すぎる。



「次に、お渡しした地図の大通り以外の道に入らないようにお願いします。過去、救助ヘリを出したことがありますので。」



本気です、本気で脅迫。てか、そんなに広いのねペトラ…。事実、現在確認されている遺跡だけでも600下らないらしいです。

ですが、その傍から「じゃあこの点線の道はダメなんですかー?」と発言する人がいるあたり、どうしようもないですねえ。点線という時点で明らかに危険だろ。犠牲祭壇までなら大丈夫、というガイドさんの言葉により一部解禁されました。

もっともガイドさん、添乗員さんに「大丈夫、エド・ディルまで行ったら、犠牲祭壇に行こうという気もなくなるから。はっはっは。」と言っていたとか。蓋を開けてみれば二人突撃してましたよ?……みなとも行きました…。それはのちほど。





で、さっそく出発。

何が驚いたって、夜と朝の遺跡の雰囲気って随分変わりますねー。「岩がすごく赤い!」とペトラ・ナイトを一緒に行った人と言っていました。

それから人が多いいいいいいい。これまでがほとんど無人に近かったので衝撃だー。レバノン紛争がなければもっと多いそうですが…隣国だからなあ。ただ、あとで判明したのですが、どうも300人ものイタリア人が飛行機チャーターして来てたらしいです。濃いぃ修学旅行並みの人数ですよ。



昼間だと、シクのあたりから独特な岩の文様が出てきて見ていて飽きないです。このあたりはまだ赤だけなので、どちらかといえば峡谷のすごさに目が行きますが。空が一筋しか見えないくらいに両側の岩が迫っています。

そして、道々にナバテア人が信仰していたドゥシャラ神のほこらが刻まれています。で、一つだけドゥシャラ神の姿が刻まれているのですが…どうみても、BSのどーも君っぽいのは気のせいか…。



そして峡谷を抜けきったところにエル・ハズネー!

何度見てもこの岩の合間から見える神殿というか墳墓というか…インパクト強いです。

さまざまな様式が組み込まれているとかで、独特な二層式の建物を、岩をくり抜いて彫ったらしいです。薔薇色が強烈。時間によって色が変化するそうです。



その奥へ進んでいくと、墳墓群があります。建築物の一番上に階段状の文様がありますが、人生を階段に例えたとも、死後の世界は階段を登って行くとも考えられていたそうで。ピラミッドに通じるものがありますねえ。



ここにペトラ名物の砂絵のお店があります。小さいので5ドルから。

この砂絵はペトラ遺跡内の砂だけで作られています。いや、見てびっくりですが、ほんとに鮮やかな赤、黄、白、黒…の岩があるのですよ。砂岩なので、岩をこするとぱらぱら落ちてきます。

日本のサンドアートなどは、ビンに糊をつけて、そこに色の付いた砂を付けていく手法ですが、ここは糊いっさいなしです。ビンに砂を入れて棒一本で模様を作っていきます。最後に蓋代わり糊をしているはず。とにかく、その手さばきはすごいです。その方法で夕陽の砂漠を歩くラクダの絵とか作っちゃうんですからねえ。



そこから少し進むと右手に王家の谷ならぬ、王家の墳墓群が現われてきます。4基かな。これをみれば、どんだけこの地の砂がカラフルか分かります。彩色いっさいなしというのが信じられませんよ。中に入れば赤と白のマーブル模様に黒が少々。(弟に写真を見せたら臓器っぽいと言いよりました。否定できん…。)すごく鮮やかです。そして唯一の日陰だったりします……ほぼ炎天下。



列柱や崩れたため復元中の神殿の間を通って、次に目指すはエド・ディルです。

時間的にほぼ12時前後です。気温は38℃くらい…。これから登る階段は約700段。金比羅山か!階段は岩をくり抜いただけなので、へたにアスファルト舗装されるより足に負担なくていいですが。

みなとは息を切らさないよう遅いペースで歩くので、(ガス欠予防。)当然ケツでございます。のほほーんと登っていましたが、中盤を過ぎると振り返れば絶景です。遺跡が見渡せる、といった類ではないですが、折り重なる岩の山々は見ごたえがあります。砂岩だからこそ、風によってこんな奇妙な形に変形していったんだなーと。



で、エド・ディル到着ーって、でけぇーっ!!さすがペトラ内最大の建築物です。もとは修道院であったとか。

装飾の類がいっさい摩滅しているのがすごく残念ー。建物自体はかなりきれいに残っているのですが。

展望のきく洞穴があったので、そこで座ってこう、明るい日差しの下のエド・ディル眺めつつ歴史に浸っていたのですが。



「オーレーオレオレオレー!!オオー!!」(←激でかい声で一曲歌いきった。)



エド・ディル展望一帯、突如サッカー会場に変身。

ちょっとまてえええええ誰だ!ってあの両手振り回して踊ってるイタリア人(推定)かーーーーッ!

頼むッ場所を考えてくれ!言うなれば山登って山頂に立った喜びに浸っている時に、手持ちラジオででかでかと軍歌流して歩くじいさんに遭遇するに等しい暴挙だということを…ッ。(←本当にいる…。)

や、みなともハンドやバスケや球技一般の試合見に行ったら白熱する方ですよ?喜びのあまりに歌いたくなるのも分かりますが、ちょっと歌詞を考えるというか、音量を考えてください。血涙。



で、下山後自由行動です。



まずはライオン・トリクリニウムへ。人が少ないので、よじ登って近付こうとしたりとやりたい放題。入口の両側にライオンが彫られています。石拾ったりして遊んでいました。



あっちこっち寄り道して、王家の墳墓群も全部見て回って、いくぜ犠牲祭壇!(すでに膝が笑っているにもかかわらず。)



さすがに人通りは少ないです。階段も結構キツ…。ここでベドウィンの女性にお茶を振る舞われたりしました。

で、目的地。

看板にサクリファイスと書かれているから間違いないはず…あれ、更地…?まあ、オベリスクがあるし、あそこまで登ろう、という気分だったのですが。

ここからが大変だったというか面白かったというか。



ロバがタクシーだよ、乗ってーと言って聞かない二人のベドウィンの男の子がくっついて離れない…。「ノータクシー。」「ラー、ラー。」と言っても聞いてないし。

相当いろいろな見晴らしのいいところに連れて行ってくれたり、(観光客は踏み込まなさそうなとことか。)してもらったので、全部が全部いやんではないところがなんとも。中には、遺跡が見渡せたり、そこで祭られているドゥシャラ神の祭壇やら見れたのですが、明らかに道なき道に踏み込もうとするんで、止めるのが大変です。苦笑。ずっとリードしてくれるつもりで手を離さないし、そこは無理!というところは座り込んで止めました。まぢで奈落が見えた…って渓谷もあったので。高所慣れしている子供は怖いです。待って、おばさんもう腰引けてますから!



でもさすがに時間が押してきたので、下山開始……って付いてくるんだ?!たしかにガイドチップとしていくばくかは渡したけど…。

僕たちも家に帰るから、ということらしいです。

ベドウィンダーンス!といって肩組まれて踊りながら階段を降りました。ってみなとは足もつれまくりのビビりまくり。すぐ隣が崖っぷちーっ!



無事、大通りへ到着。上から見たとき、ホテルとは反対側へベドウィンの人たちが帰っていくのは見ていたので、この子たちもそうかなーと思い、ばいばいと手を振ってほてほてエル・ハズネに向かって歩き出したら。

後ろから再びぎゅーっと手を握ってくる子がひとり。あれ?今度は笛を調達してきています。

結局シクの途中まで一緒に歩いていました。笛を吹いてくれたり、水路だったところを道がわりに歩いたり、と普通のガイドさんならやらないようなことができて楽しかったですが、いかんせん、みなとの体力はほぼ底ついてました。ちょっとつっけんどんな態度を取ってしまったかなあと。



最後は知り合いの馬車が来たのか、それにひょいっと飛び乗って帰ってしまいましたが、何にもいえなかったのが心残り……なんというかちくちくとしています。あの子も善意だったのかどうか分からずじまい。こういうとき、ほんとどうしたらいいのかなあ、と思います。



よれよれ〜となりながら、ホテル到着したのは、夕食兼集合時間の30分前でした。救助ヘリな事態は回避。(集合時間にいなかったらヘリ飛ばすと言われていた。)他の人は14時ごろには戻っていたそうです。もーごはんいいから寝たいと思いましたさすがに。(ぜったい15キロは歩いたに違いない。)

そういえば垢すりマッサージ体験をしてきたおじさまがいましたねー。(チャレンジャー…。)蒸気にまみれつつ、ヒゲマッチョなおやじにいたるところすられて来たそうです。かーなーり痛いマッサージだったみたいですが、夕食時にはそのおじさま、すっごく爽やかな顔をされてました。やっぱマッサージて力のある男の人にやってもらうほうが効果あるんじゃないですかね。



ペトラ遺跡は2日間くらいかけて、じっくり見たかった気も。でもまあ、9時間は歩き倒したので満足かな。
posted by みなと at 16:19| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月10日

あらびあほてほて。その13。

〜写真 そのよん〜





たぶん、これとあと2回で終わるはず…。



1_8
シリアの砂漠でよく見た花です。砂地が続くなーと思ったら急に紫が目に飛び込んできてびっくり。





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同じ枝から咲いているのに、ピンク色から青紫まで変化の激しい花でした。アジサイみたいだー。





Photo_26
ヨルダンにて。ナツメヤシの実が落ちないように網がかぶせていました。街路樹なので道が網だらけ。取っちゃだめなんですか。





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ヨルダン・ワディラムのらくだ。逃げないので正面から撮ろうとすると、ぷいーっと横向いてしまいました。





Photo_27
ヨルダン・ペトラのらくだ。らくだもラクじゃないそうです。座っている足がポイント。かわいいかわいいとおばさまたちとはしゃいでました。





Photo_28
ヨルダン・ペトラのロバ。荷運びご苦労様です。たしかこのロバはこのあとあくびをした気が…。
posted by みなと at 18:17| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月05日

あらびあほてほて。その12。

〜写真 そのさん〜





2_5
シリア・アレッポのスーク(市場)。肉です。迷路です。迷子札ぷりーず。





Photo_25
シリア・アレッポのスーク、の終点。モスクとメドレセがあります。写真に写っている塔はミナレットだと思います。





1_6
シリア・ウマイヤドモスク。おっきいです。壁面のモザイク画がすごいです。そびえ立つ絵って迫力あります。





2_6
ヨルダン・マダバの聖ジョージ教会。最古のモザイク地図。この教会の床一面にこんな地図があります。柵ではなくヒモ一本だけで保護。文化財保護も大事かもしれないけど、ケースに移さずありのままに見ることができて、自然に朽ちていくのも一つの姿だと思うんですよ…。





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ヨルダン・考古学博物館。最古の人間像「アインガザル」。うつろーな目です。紀元前8000年ということですが。男か女かも分からないよう。(つっこむべきはそこではない。)
posted by みなと at 11:54| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月04日

あらびあほてほて。その11。

〜写真 そのに〜





1_3
シリア・サラディン城。絶壁な入口です。あの細い岩に跳ね橋を架け渡していたそうな。怖くて渡れませんよ。





2_3
シリア・サラディン城。見上げてみる。右側の円になっている塔でリスが二三匹駆け回っていてずーっと見ていたら首がつりそうになりました。





1_4
シリア・クラック・デ・シュバリエ。教会の名残。のちに征服したイスラム教徒がどうしてこれを残したのかなあ。





2_4
シリア・クラック・デ・シュバリエ。外を見る。下は絶壁なので見ない見ない。遠くにレバノンが見えるらしいです。方角が違っているかも。





1_5
ヨルダン・ワディラム。まっかっか。ハズアリ峡谷の入口。狭いです。途中で引き返したのが残念。
posted by みなと at 10:24| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月03日

あらびあほてほて。その10。

〜写真とか そのいち〜


1_1 シリア・パルミラ遺跡の朝。





2_1 シリア・パルミラ遺跡。列柱通りから記念門へ。





3 シリア・パルミラ遺跡。埃っぽいのにきれいな空でした。





1_2 ヨルダン・ジェラシュ遺跡。地震対策に石畳は一部斜めに組まれたりしているとか。





2_2 ヨルダン・ジェラシュ遺跡。ニンフェウム。いるかの文様がかわいかったです。





3_1 ヨルダン・ジェラシュ遺跡。アルテミス神殿の列柱。ついつい空を見上げてしまいます。

posted by みなと at 21:05| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月02日

あらびあほてほて。その9。

〜ヨルダン篇 そのいち〜




天然資源が少ないため、観光に力を入れているというヨルダンの街並みはシリアに比べると整然とした印象があります。

港町アカバではリゾート化を進めるために、ホテルの建設ラッシュです。

おもしろいのは、「トラベル・ポリス」の存在です。観光地に必ずいます。だけど具体的な職務が分からない。笑。観光客向けの案内所なのかなあ、おまわりさん。



ですが、なによりも大統領ポスターから解放です。国王のポスターがいたるところに張られていますが、シリアの洪水に比べればかわいいもの。だって国王のポスターは笑顔多いし!(関係あるのか。)



さて、チップのことですが。みなとはいまいちこのシステムが分かりません…。

だけど、公衆の海岸に設置されている公衆トイレで、明らかに清掃していないおばさんがみなとたちにチップを要求してきたのは間違っているでしょう?!しかも出入り口に仁王立ちですよ、通せんぼ。ナニモノですか。

何とか押し退けて、ガイドさんにこういう場合チップは必要なのかと聞くと、あれはいらない、勝手に居座っているだけですからという返事でした。どこでもおばさんってバイタリティありますねえ。



一方で。「ここのトイレはチップ制ですよー。」と聞いていたので、コインを用意していくと、確かにほうきを持った青年が立っています。ですが、チップを入れる箱が置いてなければ、持ってもいない。じーっと見ているだけ。

えーーーーっと。すいません、こちらもどうしていいかわからないので、いったんスルーしました。

で、遺跡を観光して戻ってみると、ガイドさんとくだんの青年がぼそぼそと話し合っています。なんだなんだ。



「すみません、彼が、僕にチップを誰もくれないんだけど、どうしよう。今もらってもいいですか、と聞いているんですが…。」



気ィ弱っ!!もうちょっと自己主張したほうがいいよ、あのおばさんレベルになれとは言わないけど!



ますますチップについて混乱しています。苦笑。





=ロレンス関連=




トマス・エドワード・ロレンス。第一次大戦のとき、イギリスから諜報員として送り込まれアラブ独立を支援し、オスマン帝国を脅かす。しかし、イギリスの二枚舌外交に失望、(三重に利害が衝突する協定を結んでいたんですよね、たしか。アラブの独立、イスラエル建国支援、フランスと共同統治。むちゃくちゃだなおい。挙句、エルサレムを中心とした紛争を処理できなくなって、国連に統治を委任するという超無責任行為にでています。現在の中東紛争元凶のひとつ。)帰国しバイク事故により死去。

『アラビアのロレンス』という映画で知名度が高まったようです。(まだ見たことないけど高校の世界史の図録にワンシーンが掲載されていました。)



ヨルダンには彼のつくった軍事基地等が多く残されています。



まずはワディ・ラムです。

広大な赤い大地の上に、赤い砂岩が岐立しています。長年の風の浸食により独特の光景になっています。

石器時代より人が暮らしていた痕跡があり、紀元前6世紀ごろのサミディア族の言葉や、1世紀ごろのナバテア人の線画などが残されています。

『アラビアのロレンス』撮影も行なわれました。実際ここにも司令部を置いていたらしいです。



ナバテア人の線画はハズアリ峡谷という場所にあります。入口には野生のイチジクの木がありました。

隊商の通過点ということで、岩の隙間から集めた水を売って生活していたそうです。

この峡谷がねえ、ほんとひと一人が通るのがやっとという狭さ。ちょっとした岩場歩きです。両側に岩が迫っているので日陰でとても涼しいですが。

巨人や動物の絵がなかなかユーモラスです。コーランの一説が彫りこまれてもいましたが、これはかなり時代が降るはず。



砂の色がほんと赤と言うか、朱ですね、とてもきれいな色をしています。半透明の石英も朱に染まっていました。甲子園の砂のごとく、ちょっとだけいただきました。

ついでに黒い運動靴も真っ赤になった…。



この地は湧き水などが出ており、ロレンスの泉などがあります。ロレンスの名を何でもつけちゃうそうで、「あれがロレンスの山です。」とガイドさんが言っていましたが、同じような山が並んでいてどれのことかさっぱりだ。



ロレンスの泉の前でベドウィンのテントが張ってあり、お茶にお呼ばれ。たぶん観光客向けだろうなあ。

ここでふるまわれたハーブティは4種のブレンドだとか。えーとカルダモンと………なんかいろいろ。(待て。)ホットティなんですが小ぶりのグラスで出してくれます。そういえば運転手さんが休憩時に飲んでいたチャイなんかもガラスでした。陶器ではないんですよねえ。

ここではちゃんと持ち手がありましたが、基本的にはないです。なみなみとこぼれる寸前まで注ぐので、熱くて持てなかったりします。苦笑。

お茶用の小さいやかんに直接茶葉と水、あとハチミツを入れて、薪で沸かす、というやり方みたいです。





次にアカバ要塞

海水浴場のすぐ近くです。オスマン帝国の軍事施設でロレンスがアラブ革命軍を率いて攻め込んだとされる。ナツメヤシの木が周囲を覆っていました。



この近くに、アラブ連合の旗を掲揚している場所があります。紅海を挟んで2キロ先のイスラエルからも見えそう。そこには旗の持つ意味も説明されていますが、現在このアラブ連合は存在しません。もともとは一つの国家として独立をしようとしていたのに、第一次大戦後のずさんな戦後処理により細分化され、今では一つになるにはあまりに政治体制が違いすぎるのでしょう。 その旗を未だに、補修を繰返しながら揚げ続けるヨルダンという国は複雑だなあと。

実はこの旗、60メートル×30メートルと超巨大なものです。ささえるポールの円周も一体何メートルだ。この旗が常になびいているんだから、風の力ってすごいですねえ。





最後にアズラク城です。

玄武岩によって作られている黒い砦で、3世紀ごろローマによって建設、ウマイヤ朝、アイユーブ朝の修復を経て、ロレンスがアカバの戦いをこの砦で指揮したことで知られています。



この砦の入口の扉は一枚岩でできているのですが、重さは2トンあるそうです。油を流すことによって、ひと一人の手でも開閉ができるようになっているとか。

では、と試してみると、確かに動くけど結構重いよーやるな2トン。きっちり閉めることはできませんでした。ちっ。まあ、びくとも動かせなかったおじさまもいたことだし良しとしよう。(よくない。)



ゲリラ戦を指揮しただけはあって、司令部をこんなところにおいたり、随分と神出鬼没だったのだなあ。





=旧約聖書関連=




まずはネボ山です。

標高は710メートル。死を目前にしたモーゼが「約束の地カナン」を見、死後は埋葬されたと伝えられているそうです。

4〜6世紀ごろには教会と修道院が建てられており、現在も発掘調査が続いています。



みなとたちが登った時は遠くが霞んでいましたが、ヨルダン渓谷から死海を一望に見渡すことができます。霞んでさえいなければエルサレムも見えたのにっ。

それにしても、よくこの不毛の大地を人民を引き連れ40年間も放浪し続けたものだなあ……。



教会内は牧畜の様子を描いたモザイクなどがあります。組み紐のような文様などちょっと変わっています。聖書とはあまり関係なさそうな絵柄ばかりなんですが…そういったお話もあるのかなあ…。





次にマダバの聖ジョージ教会。ギリシア正教の教会で、世界最古のモザイク地図があることで有名です。なんと床に、です。エルサレム、ベツレヘム、イェリコ、死海などの部分が残存しています。恐らく、信者が巡礼のために利用したのではないかとのこと。

…………これでは…迷子になるような……。



地図と言うより絵という感じです。エルサレムは城壁で囲まれ、その中には家が建て詰まっているのですがミニチュアのようでかわいらしいー。死海から河へと泳ぐ魚の表情もぼうっとしていておもしろいです。

ガイドさん曰く。



「この魚は死海の水がしょっぱすぎたので、河に逃げているところです。」



ほんとかそれ。





それから、ヨルダン考古学博物館

ここには、イスラエルのクムランで発見された死海文書の一部が展示されています。キリスト教的に(というか新約聖書的に。)まずい内容が書かれているということで、ローマ法王庁に封印されたとも噂されるいわくつきの文書です。もっとも、この文書自体、誰が何の目的でといったこと、はたしてユダヤ教の正当か異端かもはっきりしていないようで、謎が多いそうです。

写真オッケーの博物館だったので撮りはしましたが、読めるわけがないです。ヘブライ語なぞ読めませんよ。



この博物館は他にも、世界最古の人型像「アインガザル」が何体かあります。

………うつろなのに、なんでこんなに目だけが強調されているのだろう…。シリアでもそうだったのですが、中東地域の古代人物像はとにかく目。異様に目だけが強調されています。イスラム教でもファティマの目は災いを防ぐっていうのがあったような。

それより不思議なのは、身体はひとつなのに頭はふたつという形態でしょうか。それは人なのか…?どういう宗教というか哲学観念なのか誰か教えてください。





=遺跡=




最初はジェラシュ遺跡

とにかくすごいの一言。ローマ時代の町がまるごと残されているようなものです。なんで世界遺産じゃないのか不思議なくらい。……ええ、これにも理由がありまして。発掘された時期が早かったため、復元に一部セメントを使用したことで、資格がなくなったそうです。みなとも初めて知ったのですが、復元する際には、同じ工法・原材料を使用しなければならないそうです。もったいなー!



アレキサンダー(の武将?)によって町が建設されたとも言われていますが、本格的な繁栄はローマの五賢帝時代だったようです。ビザンティン時代に入ってからも、15の教会が建設されるなど繁栄が続きますが、大地震によって次第に衰退していきます。



フォーラム、ローマ劇場もきれいでしたが、アルテミス神殿とその門から続くカルド・マキムス(幹線道路)、ニンフェウム(噴水)が圧倒的でしたねえ。アルテミス神殿に残る列柱のたもとに座るなり寝転ぶなりして空を見ると、何本も伸びる列柱の先に砂漠の濃い青空だけがあって、ちょっと古代人の気分です。

カルド・マキムスの石畳もほてほて歩いて、改めて建造物の大きさを感じたり。もっとも、途中でダッシュかまさなくてはならなくなりましたよ炎天下に!←集合時間をうっかり忘れていた。



競技場ではグラディエーターごっこ…ではなくて、古代ローマの競技を観光用に行なっています。有料らしく、横からのぞき込もうとしたらえらい勢いでおじさんにおっぱらわれました。ち。でも競技場外でローマ兵たちがへたりこんでいるのがなんとも。お疲れ様です。





アイーラ遺跡は7世紀ごろに栄えた街の遺跡だそうです。ホテル建設ラッシュのところでひょっこりでてきたりするらしい。掘ると遺跡が出てくるような歴史の古い街はある意味大変ですよね……。





そして、クセイル・アムラ

ウマイヤ朝カリフ、ワリード1世によって離宮として建てられたものですが、見た目はしょぼ…いえいえ小さいです。砂漠の真ん中にぽつんとある感じ。



ですが内部のフレスコ画がすごいです。裸婦像があるんですよ、まずこれが信じられない。なかなかに肉感的です。色彩もだいぶ傷んでいるとはいえ豊富。数多くの動物や人物がところ狭しと描かれています。熊みたいなのが弦楽器を弾いていたり。

そして浴室のドーム型の天井には天文図が。たぶん、北極星を中心に描いているような…大熊とか龍がいるし…。黄道十二宮もかな。



それにしても、カメラフラッシュ禁止にしてないけど大丈夫なのかなあ。(でもフラッシュないと暗すぎるし…。)





=その他=




とりあえずは浮いてきました、死海にて。

浮きすぎです。尻が浮いたら泳げないって!浮き方が分からずじたばたしていたら、外国人のおばさまにえらい剣幕で怒られました。

なぜかというと、塩分濃度が高すぎるので、水が目に入ったりするとちょっと大変なんですよ。目が開けられないくらい痛いです。ぎゅっと目を閉じて涙で流すしかないです。

コツをつかめば、あとはあおむけでぼけーっとぷっかぷっか浮いていました…沖に流されました……。寝ていたらイスラエルまで行きそうです。(無理だから。)

泳ぐことができないので、移動したい時は水中ウオーキングしてました。





スークには行きませんでしたが、かわりにスーパーに買い物に行きました。

カートがでかいです。買い物カゴはないです。どんだけ買い物するんだ。

で、食料品の棚とか眺めていたのですが、油とかどう見ても5リットルくらいありそ…業務用ですか。すべてがキングサイズですどんだけ食べるんだ。

魚などは氷の山に直接突き刺さっていました。たぶん、周りの氷ごと袋に入れるんでしょうねー。



すごいのはレジです。

日本ではカゴ→バーコード→別のカゴ、ですが。こちらでは本人がカートから直接テーブルに商品を置いて、店員がバーコードに通した後、ベルトコンベヤーに乗せる。本人がベルトコンベヤーの先で待ち構えていて、次々袋に入れていく、という感じでした。

……まあ、あの量ですから。



意外にスーパーっておもしろいです。
posted by みなと at 20:47| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年07月01日

あらびあほてほて。その8。

〜シリア篇 そのよん〜





ガイドさんは敬虔なイスラム教徒だったので、一度、礼拝の時間にモスクを見学した時は、みなとたちから離れて祈りを捧げたりしていました。他の時間はそうでもなかったので仕事中は一日5回の礼拝も省略できるのでしょうか。(ちなみに騒いで怒られた。←当たり前です。)


メッカに礼拝したんだーと写真を見せてもらいました。すーっごい人波だな!21日間滞在して、その時は5キロ近く痩せたとか。

うれしそうに自慢していたので、(かわいいおじさまだ…。)イスラム教徒にとってのメッカの巡礼ってほんと重要事なんだなあと思いました。

そしてさりげに奥さんの写真も見せてくれたり、携帯は娘さんの写真が待ち受けだったりしたので、家族溺愛のようです。首都に戻ってきた時は、うきうきと自宅に戻られました。





=イスラム教関連=





まず、アル・ハラウィア・メドレセです。

ここのミヒラーブは木製の装飾が施されています。そしてなぜかイオニア式の木製列柱もあります。アンカサスの葉の文様がきれい。



女性が中を見学する時は、ねずみ男のごとくフードの付いた丈の長さは引きずる勢いの長衣を羽織らなければなりません。メドレセの受付で貸し出ししています。色は茶色でボタン代わりのマジックテープを上まで留めなければなりません。

とにかく暑い。サウナのようなものです、だってこの服ナイロン製っぽい…まるきりカッパです。

半袖でへらへら入っていける男性陣が。



「暑そうだねえ。」←まだ許せる。

「まるで秘密結社のようだなー。」←男人には真夏でもアーマースーツ着てもらおうか。

「KK●(伏せてない…。)だな!顔も隠せよ!」←十字架に吊るして燃やすぞこらあ!



このメドレセの向かいに大きなモスクがあります。

スーク(市場)の狭い路地の終点にあるあたり、生活に密着感がありますね。





お次はサラディン廟、ウマイヤド・モスク、アゼム宮殿のみっつ。ほぼ近接というか同敷地内というか。



メインはウマイヤド・モスクですね。(ちなみにここもねずみ男。色がねずみ色なので、ほんとにねずみ男。)

イスラム第四の聖地であり、現存する世界最古のモスクといわれています。もとはハタド神殿だったものをヨハネ教会に改築、そしてさらにウマイヤ朝カリフ、アルワリード・イブン・アブドゥルマリクによって10年の歳月をかけて現在のような壮麗なモスクになったとか。



モスクの内庭の広さにも驚きますが、それ以上にモスク正面のモザイク画がすごいです。イスラム装飾というと格子文様、植物文様が思い浮かびますが、それらの形式が現われる前だったのでしょう、金地に青々と茂る緑の木が自由に描かれています。大きすぎて、モザイク画といわれないと筆で描き込んだようにしか見えません。



みっつのミナレット(尖塔)が現存していますが、(イエスのミナレット、花嫁のミナレット、カイト・ベイのミナレット。)これらはすべて形が違います。建てられた時代が違うのかなあ。

地図で見るかぎり、台座だけが残されている場所が二ヶ所あるので、合計五本のミナレットがあったのでしょう。



靴を脱がないといけないのですが、廊下も柱も大理石でちょっとひんやりした感じです。方々に埋め込まれている文様を眺めているだけで楽しい。

人はすごく多いです。観光客と巡礼者と、どのくらいの割合なんでしょうね。半々くらい?



で、モスク内部ですが、ここにビザンチン時代のキリスト教会の名残があります。

聖ヨハネの遺骨を納める小さなドームが置かれています。そのため、キリスト教徒とイスラム教徒がともに巡礼をしていた時代もあったとか。緑色のガラスがはめ込まれ、中はあまりよく見えませんでしたが…。



モスクの内装は、天井やミヒラーブはそれは細密な文様が彫られています。内部は後世の手が入っているのかも。そして色鮮やかなステンドグラス。なんとなく不思議な感じです。

午後の礼拝が近い時間だったせいか、場所取りをしている信者も結構多かったです。

歩きながらの見学だったため、これらの写真、ぜんぶブレました……うわああん。





で、サラディン廟

こちらは、想像よりずいぶん小ぶりでした。サラディンの棺の一角には緑色のターバンが巻きつけられています。偉人を葬る際の習慣だとか。

その棺のとなりには大理石で作られたお棺がもう一つ安置されています。これはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が寄贈したものです。や、身体は一つなんだから、ふたつあっても……。オスマン帝国との友好の証でしょうか、第一次大戦へ向けての。





そしてアゼム宮殿ですね。

オスマン帝国のダマスカス総督アサド・パシャ・アル・アゼムによって建造されます。現在は民族芸術博物館として公開されています。

人形がえらいリアルですが、スーフィーの服飾を初めて間近で見れたので満足。



ここに来ていた女学生の子に絵を描かせてもらいましたー。そばでじーっと見れるのでうれしい!(動機が不純すぎ。)目鼻立ちがはっきりしていて美人だなあ…。目元が強い感じの子でした。





=スーク=





いわゆるバザール、市場のことです。

アレッポとダマスカスのスークに行きましたが、アレッポの方がおもしろかったかなあ。

それもそのはずで、アレッポのスークは全長12キロ、中東最大といわれているそうです。もうね、完全に迷路です。メインストリートを確認しながら脇道に入らないと戻って来れない気がします。



バザールもそうですが、布地なら布地、スパイスならスパイス、と同じものを商う店はかたまっています。なので、目的のものがあれば、あまり迷うこともないかも。ただ、香辛料の匂いが苦手な方はスパイスコーナーを通り抜けるのは大変かもしれません。むせる勢いです。

ちなみにみなとは肉売り場のにおいがアウトでした。一軒ならいいのですが、それが軒を連ねて充満していたので…。生肉というか、皮がはがれた羊まるまる一頭とかが店先にぶらさがっています。冷蔵してないですねえ。なかなか壮観……。



名産品としてはオリーブ石鹸があります。ゼノビアも愛用しており、ローリエのオイルが多いほど高級だとか。……買いませんでしたが…。

他にはピスタチオや寄せ木細工、カラフルな女性用のスカーフなどでしょうか。ヒトデや珊瑚の剥製っぽいのもあったけど内陸のはずなんですが。

添乗員さんが日用品でおもしろいものを買っていました。女性が髪を隠すため、伸縮性のある布をわっか状にしてスカーフの形を崩れないようにするものです。うーん、ヘアバンドを後ろ髪ではなく顎の方に回すかんじ。隠すにもシルエットの形に気を使ったりと、おしゃれって奥深いですね。



ダマスカスで行ったハミディエ・スークは歩行者専用だったのですが、アレッポのスークはそこに道がある限り、車というか人が見えないくらいに商品を積んだチャリとか荷車が暴走していました。ぼけっと歩いているとひかれそうになります危ないわー。



自分がそれなりに満足な買い物をしたのでほくほくと歩いていたら、しつこく呼びかけられたので布地の店に寄ってみると、「パシュミナ!10ドル!」…いらん!大体この柄、中国で見たことあるぞ。「ノー1ドル!」とふっかけてさっさと行こうとしたら、「5ドル!4ドル!」しつこいなーと思っていると、店主もこいつ分かってないな?とばかりに突然ライターを出したかと思うと、そのスカーフのひと房をいきなり燃やしてしまいました。「パシュミナ、オーケー?」ますます訳分かりませんよ!つうかもうこの商品傷物じゃねーか!

あれ、何が言いたかったのでしょうねえ……未だに分からないのですが。苦笑。



あと、変わったところで、スレイマニユェのモスクの中庭に職人バザールがあります。テラコッタの陶器を作ったお店とかありました。



=その他=





まずはカシオン山。山腹にレストランがあり、ダマスカスの夜景を楽しみながら食事ができるいいスポットじゃないかーと思っていたら。

実は旧約聖書の舞台で、カインとアベル兄弟による人類最初の殺人が行なわれた舞台だそうです…………えーっ?!

現在は山頂に電波塔?が建っていて、中腹まで住宅が埋まっています。



あとはオスマン時代の鉄道でロレンスによって爆破されたヒジャーズ駅。現在は人ではなく貨物のみ取り扱いです。



それから、ハマの水車。大きいです。(それだけ…?)よく知らないんだよ…。



あと、面白かったのが各国大使館。イランは格子文様が描かれた建物で、アラブ首長国連邦もイスラム的な建築物。ロシアもなかなかに豪華な建物。で、日本は…見逃しそうなほど小さなビルでした。在留邦人が少ないから仕方がないのでしょうね。





これでシリアは終わりですね。次はヨルダンだー。(いつまで続ける気。)
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2007年06月30日

あらびあほてほて。その7。

〜シリア篇 そのさん〜



今回の旅行で水煙草を初体験してきました。
よくシルクロードの写真で、きれいな装飾を施したビンからのびているチューブをくわえているおじいさん、というのがありますよね。ほんとに結構このビンがデカイ。その口の辺りに炭をのせて、ビンの中の水を煙が通ってくる仕組み…なのかな?



ツアーのスモーカーなおじさんが食後に、実に陶酔した表情でのんでおられたので、わらわらと見物に。



「いやあ、これはいいですよ。煙草だったら3分ほどで終わっちゃうけど、これなら15分だって吸ってられますからねえ。」



そういや、結構ながながとくつろいでいますよね。まあ、水煙草のほうが受動喫煙の害も少し低いし、健康面でも少しはましらしいし。



「吸ってみます?」



といわれて乗り気になる方もなる方ですが。ちなみにみなとは煙草吸いません。においがだめ。のどもだめ。



さっそく一回目。吸ってー、吐くのはチューブから口を離してー。……って、あれ?煙でないよ?
吸えてない!と総ツッコミをくらいながら、今度こそーっと肺まで吸い込む勢いで深呼吸すると、かすかにビンの中で水がごぼごぼっと音を立てるのがチューブ越しに伝わってきました。(どうも、周りの人には聞こえないみたいです。)これか、この感じか!とふーっと息を吐くと、今度は煙がちゃんと出て……。



「げほがほげほがほっっ。」



当たり前っちゃ当たり前ですね。赤の他人の笑いまで取ってきましたよ。
煙ですが、なんとストロベリーの香がしました。ものすごく甘いんです。あれには驚きました。他にも色々あるのかなあ。



しっかし、自宅で楽しむには道具が随分必要です。炭をおこす道具、炭を運ぶ道具、で水煙草本体。
レストランで食前食後に注文して楽しむ人が多いわけです。ああ、だから写真でも、喫茶が傍らにあるんだ…。



=城塞=



十字軍関連と言っていいのでしょうか。それぞれ、古い歴史を持っていますが本格的な要塞化は、十字軍侵攻時代のようです。



まずはアレッポ城から。
別名、アレッポデートスポット、と名付けたいくらいにカップルがいっぱいいました。街を一望できるしカフェもあるからでしょうか。もっとも、一望しようと城壁から身を乗り出したら「命綱よこせー!」というような強風でしたが。



このアレッポ城の歴史ですが紀元前10世紀に建てられた神殿が元という話もあるそうです。地元神ハダテの神殿も置かれていましたが、数多くの帝国による侵攻を経て、ついに十字軍侵攻の時代に要塞化されます。アレッポという街が東西交易の要衝でもあり、戦略的にも重要だったせいでしょうねえ。



城内に入る手前に狛犬よろしくライオン2頭がお出迎え。泣き顔と笑い顔というなんともユーモラスなものです。
城塞の門の復元度に比べ、城内は崩壊が激しいです。なんでも地震によってほとんど廃墟となったそうです。至るところで通路が壊れているのですが、こんな城塞の中に住居にモスクにミヒラーブ(神学校)とすべてそろっていたのだなあと感心してしまったり。ひとつの町になっているのがこちらの城塞の特徴みたいですね。
貯水槽から秘密の通路へ至る道などはホラーです。真っ暗闇で懐中電灯がないと何も見えないんですよー。(そんなところに降りるな。)



ですが、マムルーク時代の宮殿は内装がとても壮麗でした。格子文様に細やかな装飾のステンドグラス。床に穴が開いているな、と思ったら、下階の通路の明かり取りだったり。
ただ、この床の穴が曲者で、落ちないように金網が張ってはいるのですが……この網、大人の足も余裕で抜けられます。危ないなーと思っていたら案の定子供がはまって大騒ぎに。もうすこし細かい網を張った方が…。



次は、サラディン城(カラアト・サラッハ・ディーン、もとはソーヌ城と呼ばれていた。)です。
ふっふっふ、サラディンですよクルド人でエジプト・アイユーブ朝初代スルタン、十字軍を敗退させエルサレムを奪還しながら敵の捕虜を帰還させ、キリスト教徒のエルサレム巡礼を許したという。(おちつけ。)みなとは一神教に少し違和感があるので、キリスト教もイスラム教も等距離…という感じですが、十字軍に関しては明らかにキリスト教(というかカトリック。)側に失点が多すぎますからねえ。



フェニキア人が要塞化し、ビザンティン時代を経て、十字軍のホスピタラー騎士団が守りを固めていたのですが、サラディンは投石器などを使い、この城塞を一時間とも二日ともいわれる短期間で陥落させました。



とかく、よくもまあ、こんな峡谷に大規模な城塞を建設したものだなーというのが最初の印象です。緑の生い茂る絶壁にぽつんと孤島のように建っています。
要塞内部が見たければ約150段あまりの階段を登らなければなりません。ここで、旅行中唯一の雨がぽつっときました。じきに晴れましたが、みんなで傘持ってきてないー!と一騒ぎ。いや傘もめんどくさいですが。(ウインドブレーカーでしのぎました。)



ここは外形の復元はかなり進んでいる方ではないでしょうか。
ですが、繁茂している雑草がこんもりとなっているのを見るにつけ、「城春にして草木深し。」という句がここほど似合う場所もない気がするなあと眺めていました。兵士だけが消え、茨に覆われていく城の途中を見ているような。
狼煙台か見張り台の塔の側壁を、リスが何匹か駆け回っているのがかわいらしかったです。



城塞の中ではここが一番好きでした。



最後はクラック・デ・シュバリエです。
まさに絵に描いたような城塞です。事実、十字軍が作った数多くの城の中でも、最も保存状態がよいとされています。標高は650メートルで、これは410メートルのサラディン城よりさらに高所です。アラブ名では「斜面の城」、クルド名では「クルドの砦」。クラック〜というのはフランス語だそうです。



この城塞の基盤は6世紀に作られたとも言います。二重の城壁による固い防備のためサラディンも落とすことができませんでしたが、マムルーク朝のバイパルスによって陥落します。



厩や食糧庫の大きさや、兵士の休息所、兵器庫と敷地の広大さや、城塞からの眺望の良さもすごいです。きもちいい。
それに、キリスト教会風の回廊建築と、イスラム教の礼拝建築が共存するように同じ城塞内にあるのがおもしろいです。男の子がミヒラーブ(メッカの方向を示す壁の凹んだ部分。)に向かってコーランの一節を唱えると、礼拝所内に反響したのは驚きました。そういえば、イスラム建築って、こういった音響が優れているところが多かったんですよね。
でもね、少年、みなとは君がガイドさんからちゃんとチップを貰っていたのは見たのだから、そのあとみなとにチップを要求しない!ふらふらしてるけど、一応このグループなのー。



城内の見張り台に、石を7つの穴に入れていくゲームの穴が掘ってあったのに笑ってしまいました。緊急の事態でなければ見張りって暇だもんねえ。

posted by みなと at 23:58| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月29日

あらびあほてほて。その6。

〜シリア篇 そのに〜





シリアの町は雑多な感じでした。新旧や貧富が入り乱れながら網状に街が広がっているようなごった煮風の街です。

海外に出るようになって初めて知ったのですが、街というのは中心になるロータリーがあって(そこに街の象徴のような像があったりする。)そこから放射状に街が作られている場合が多いんですねー。日本だと碁盤の目、というイメージですが、お手本の中国も今や首都北京はロータリーだったなあ。



観光客相手の商売をしている人は、日本人と知れば何らかの日本語で話しかけてきます。

だけどなぜか、その呼び込みが。



「いーとーまきまき、いーとまきまき♪」

「もうかりまっかー、ぐじゅぐじゅ。」




…………なぜっ?!

糸巻きの方はスークという市場のスカーフ売り場付近だったので、辺りで大合唱となりました。いや、ひいてとんとんしないと糸にならないし!

もうかりまっかーに至ってはぼちぼちでんながなぜそうなる!それを呟きながらハガキを売りに来た青年は別の意味で怖かったです。誰だ間違った日本語講座をしたのは!



貧困層の子供たちはボールペンやアメ、大人は煙草を欲しがりますが、みなとはパルミラ遺跡にてツアーの名札をあげる羽目になりました。お金にはならない…よ?道理でリュックの名札をつかんで放さない子がいるなーとは思っていましたが。カラフルな絵が描いてあったからでしょうねえ。





=古代遺跡=





まずはエブラ遺跡から。

この遺跡、20世紀最大の発見の一つとされるほど重要なものだそうです。ローマの調査団により発掘され、17,000枚もの粘土板の発見により古代セム語の存在が確認され、シリアの古代王国エブラであることが確認された。エブラ王国はアフガニスタンからエジプトに至る国々との交易で発展するも、アッカド人とヒッタイト人の二度の破壊により滅亡する、うんぬん。



あ、すいません、パンフレット棒読みです。予備知識は現地のお話や現地で買った本で仕込むという突貫工事旅行記です。(待て。)だって、『地球の歩き方』は地球の迷い方だとのもっぱらのうわさですしー。(ほっといても迷うやん。)



いやーでも紀元前3000年の世界ですよ。島国の人間には想像つきません。

それにしてもこんなだだっぴろい砂の大地のどこから建造のための石材を切り出してきたのかと思います。地面の色は赤一色なのに、石材は白っぽい…石灰岩かな?とか黒い石…花崗岩??とか。

王国の広さは実感できます。ほんとに周りに何にもないんですよ、ものすごく見晴らしがいい。で、ぽつんと別の場所にも四角に区画された発掘現場があり、地平の切れ目に、崩れかけた城門が見渡せます。一本、生活用の道があって、そこをゆったり歩いていくアラブの白い長衣をまとった男性を眺めていると、ほんとスローに動く時間を実感しました。





お次はウガリット遺跡です。

アルファベットの原型といわれる30種の楔形文字を残していたことで有名な遺跡だそうです。はじめに発見されたものは、イギリスだかフランスだかが自国に持って帰っちゃったそうなんですが、その後ざくざく文書が出てきたのでシリア的には問題がないようで…。対照表を見ましたがどう進化して現在の形になったのかさっぱりです……。エジプト、キプロス島、エーゲ海諸島、ミケーネとの交易で栄えた海運都市国家でしたが、紀元前13世紀に侵入してきた海の民、ペリシテ人によって滅ぼされます。もっとも、外敵の侵入はきっかけであって、内紛によって結果的に衰えた、という説もあるそうです。



こちらの遺跡はエブラに比べて復元が進んでいるのか、迷路のような町を体験できます。忘れた頃に道標が出てきたりしますが、多分その頃には手遅れです。出口はどこだ。

楔形文字のおかげで、住人の名前まで分かっているものもあるとか。それでですね、このウガリット王国、葬送がちょっと変わっています。家族が亡くなった場合、遺体は家の地下に収めるそうです。もがりではないですよ。家の地下が即ちお墓なんです。確かに居住区の一区画の隅に地下に入る階段があるにはあるんですが……死生観の違いでしょうか。どういった死生観だったのかちょっと気になる…。衛生面とか大丈夫なのでしょうか。



さて、では神殿跡(ダガン神かベル神…。)にいきまーす、となったのですが、ここからかなりの茨道。というか雑草伸び放題のカタツムリ繁殖し放題。冗談抜きでびっしりとみなとの半分くらいの高さの茎にカタツムリがですね……うわああああかわいくないー!

で、神殿跡なんですが、ただいま絶賛崩壊中でした。この神殿跡に登れば、遺跡を一望できる、らしい。

雑草が繁殖しすぎて足場が見えないところを登ろうとするほどみなとも無謀ではありません。なんというか、決定的に背と足が足りない。残念…。





最後はボスラ遺跡です。

エジプトのトトメス3世の目録やアマルナ文書などに記されるほど古い歴史を持つ古代都市です。ナバテア人により建設され、後にローマ帝国の属州となり、そしてイスラムに最初に帰依した都市となります。



このボスラの町全体が遺跡群のようなものらしいのですが、みなとたちが見たのはその中でも特に保存状態がよいとされるローマ劇場です。十字軍の侵攻に備え、アラブ人たちが要塞化したために頑健となり地震などにも耐えることができたとか。このローマ劇場、黒い玄武岩で作られているため、ちょっと異様な印象を与えます。ですがソファ型のイスなどもちゃんと残っていておもしろかったです。



舞台を見に行った時、あんまり気持ちよかったので、みなさんが舞台の真ん中にいるとき、みなとは右側の柱の影で客席を眺めながら寝転んでました。他に観光客がいないと好きなことできますねえ。

どのくらい響くかということで歌っている人がいましたが、ほんとよく響きます。天井がなくても反響ってするんだー。妙に感心。





こんなもんかな……って、ガディッシュの戦跡を忘れていました。

エジプトのラムセス2世とヒッタイトが17年間戦い続けたという古代の世界大戦の場です。のちに世界最古の平和条約が結ばれたとか。世界最古が多いですねー…。



で、何があるのかといいますと。なんもない。丘が残っているだけで、あとはオリーブ畑と牛と村があるだけです。戦場跡なんてそんなものですようん。関が原とか五丈原とかも野ッ原ですからねわははは…は…。(ちょっとだけ何かを期待していたらしい。)





=博物館=





合わせて4つ見て回りました。



初めはパルミラ博物館

シリアの博物館の大半はアラビア語とフランス語の併記になっています。英語ないのかー!仏語なんて読んだこともないよ!(どのみち英語もさっぱりやん。)ガイドさんの説明だけが頼りですいつものことだ。



パルミラで発掘されたものを展示する博物館です。入ってすぐ横にライオン神像がお出迎え。本物です。雨ざらしでいいのか。

陳列品はなかなか見ごたえがありました。神話世界についてのレリーフなど。最高神が鷲で表現され、太陽と月が従属するといったものがあります。あとゼノビアの横顔が刻印された貨幣など。独自の貨幣を作ることからして、ローマからの独立を目論んだ野心が見て取れますねー。



ですが一室丸々墓棺のレリーフを陳列していたのには参りました。墓棺に生前の姿を彫りこむ慣わしがあるので、(墓所の形態上。)上半身のレリーフが壁一面に。なかなかシュールです。

そのレリーフの男性像はちょっと変わっています。帽子のようなものを被っていて、額正面に子供の顔の飾りが。自分の子供を愛してるよーということで、自分の子供の顔を飾るそうです。すごいなー。父親みんな頭につけているんですから。





次はアレッポ博物館

お出迎えは白目と黒目をはめ込んだモアイのような黒い像です。こちらは復元だったかな?中で本物を見ることができます。

かなり独特な顔かたちをしたイシュタール神像とのこと。高さは2〜3メートルくらいありそうな……。他にはスフィンクスの原型らしきものもあったり。強い動物との合体願望でしょうか。鷲とか多かったかな。



パルミラの出土品と異なり、人物像はかなり独特です。写実性からは離れてしまいますが、かなりおもしろいです。

神殿の前のお賽銭箱を持った人物像とか。グループからかなり離れて歩いていたので、まっさかここにお金入れてる人はいないよねーと手を入れてみると、かちって、……はい?…ありましたよ。同じツアーの人が面白がって入れたらしいです。(ショーケースに入っていないのでさわりたい放題でした…。)

ただ、笑ったのは、博物館ってどこも暇だと見回りの人が付いてくるじゃないですか。みなとがコインを見つけて、誰だー?と思っていたら視線が。

いましたよ部屋の入口に係員さんが。にやん、と笑われたので、そそくさと展示物にぶら下がっていたみなとはコインを元の通りに置いてその部屋から出て行きました。ふっと振り返ってみると、係員さんがちゃんとコイン回収してました。一部始終見てたんかー!!



というか。

この博物館、一歩足を踏み入れた時は、何の爆撃を受けた後かと思いましたよ。壁は剥ぎ取られとるし、天井も梁やら配線がぶら下がっているし。展示品もケースの中でめちゃめちゃになってるし。

や、ここでテロがありましたーって言われたら本気でシャレならん。

実は空調設備の工事真っ最中だったとか。もう少し手順考えて一室ずつやろうよー。まとめてやるから営業疑われる内装になるんじゃないかなあ。





その次がラタキア博物館

展示品についてはー……うーん。アラバスター製の壺やローマングラス、モザイクなど綺麗ですが、前二館の迫力と比べるとちょっと落ちます。



むしろここのメインは博物館の建物自体ですね。キャラバンサライ(隊商宿)として使用されていた建物をまるまる博物館にしてしまったという。隊商宿に入ったのは初めてだったのでちょっとうれしいです、シルクロード好きとしては。あー馬とからくだつないでないかなー。





最後にメインディッシュのダマスカス国立博物館!

ツアーの中で一人、「これこれが見たい!」ということで単独行動していましたが、みなとなら100%迷子決定です。広いわ!



建物の正面からしてカルス・アル・ヘイル・エル・ハルビからウマイヤ朝時代の砦門を移設してきたり、シナゴーグの壁画をまるごと復元して展示したり。(一室の壁と天井すべて使用。)モーゼの物語が描かれています。あと、パルミラから地下墓地をまるまま持ってきて復元とか。こんなん現地にもなかったよ!

ラピスラズリの装飾品やマリ王国の神官像にミネルヴァ像にと数え上げたらキリがないです。宝庫ですよシリア展とかやらないかな。うっかり図録買っちゃいましたよ。…欲しかったのがちょっと載ってなかったりしますが…。それより問題は全文英語ということですが…。



四つの博物館に共通しているんですが、出土品であまり価値が無さそうなものとか、似たようなものがある場合、基本庭に放置してオブジェになっています。博物館内は撮影不可ですが、外はオッケーということでぱちぱち撮っていたのですが、この博物館、庭もデカイ。どんだけ出土品が余っているのかと。





あるところにはあるものです。
posted by みなと at 20:46| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月27日

あらびあほてほて。その5。

あらびあほてほて。その5。
オブジェサラダ。
突き刺さっている香菜の緑はもっと濃くて綺麗でしたが。ナイフで解体しながら食べました。

たべもの、というか、のみもので忘れてはいけないのはフレッシュレモンジュースですねー。ビール並のお値段でしたが、置いているレストランでは必ず注文していました。

暑いとみなとはすっぱいものが欲しくなるので、普段から夏になると100%グレープフルーツジュース飲みまくりです。

が!このレモンジュースは別格でした。絞りたてで粒もたっぷり浮いていて、ほんのり甘味はハチミツでございます。
うわあああ、かちかち打ちながらまた飲みたくなってきたー!なんで日本のジューススタンドにはレモンジュースないのっ!?

運ばれてきた時、ストローの口だけ袋がかぶさっているのがなんとも。

ビールはシリアビール、レバノンビールは聞いたけど、ヨルダンビールってあったかなあ。
posted by みなと at 13:15| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月25日

あらびあほてほて。その4。

〜シリア篇 そのいち〜





シリアと言えばものすごく危険な国イメージですよね。ヒズボラの支援をしているとアメリカが名指しで非難したり。

で、この国は大統領制(任期7年)で今年選挙があったとか。独裁国家ではないのかー?と思いきや、選挙はあったようです一応は。投票率90%以上で野党候補者は相当妨害をうけたという話もありますが。旧ソ連系の独裁国家で自己の終身大統領を可決させる国とどっちがましなのかなあ。



それはともかく。大統領の顔はいやでも覚えることができます。

ビルの窓に店内にそこらの壁に車の窓に、いたるところにポスターやステッカーがべたべたと。道路の中央分離帯や砂漠の高速の道端には看板や旗が、官公庁や国営企業にいたっては全身像の垂れ幕が。忘れる方が無理。街中に大統領の顔が溢れているんだもん。

ポスターやステッカーは新聞の折り込みチラシに入っているとかで無料だそうです。さすがにみなとはタダでも首相の顔を自分の部屋に張りたいとは思わないですが。苦笑。

しかも、それらのポスター、絶対にラクガキされていません。他のポスターは軒並み破られたりオヒゲが足されたりしているのに。わかりやすいですねえ。どんな民主的な国の政治家でも、こういった自分の神聖化って一度は夢見るものじゃないんですかねえ。(ぬるい笑い。)



ただ、観光客にとっては、こういった国のほうがスリに気をつけるだけで済むというのは何とも皮肉です。

裏通りで何が起こっているのかは知る由もないですが…。





=パルミラ遺跡=





女王ゼノビアの都として有名ですね。

夫が殺害された後、幼い息子と共に共同統治者として実権を握り、パルミラ王国の勢力を拡大。自身をクレオパトラになぞらえ、また、政治軍事に辣腕を揮い、ついにローマ帝国からの独立を目論むも、ローマ皇帝の遠征によってその野望は崩れ去ります。

シルクロード交易によって栄えていたパルミラも、ゼノビアの敗北と共に没落していきます。



「パルミラ」という名称はナツメヤシが元ではないかと言われているそうです。世界遺産でござい。



なんというか、ここはギリシャかローマかと思ってしまいました。柱の形式はイオニア式で装飾は結構ハデめ。

ですが歴史は相当古いため、独自の神を信仰していたようです。アラート、バルジャミン、ベルなどなど。うわ、聞いたことないや。



大通りの両側に柱が続いて、その左右にローマ式の円形劇場や、アゴラ、神殿などがあります。ただ、ほとんどが基礎しか残っていないので、見るのも結構大変です。柱や建築物を構成する石ですが、これひとつが結構大きいんですそれが道を塞いでたりするので、大通りを外れたところをうろうろするとほぼアスレチックになります。

遺跡にへばりついてえっこらよっこらとよじ登る姿はまるでトカゲになった気分ですよ。寄り道ばっかりしているせいですが。(団体行動が取れない人間。)



道は大通り一本だけではなく、脇道もあるのですが、その分岐点に当るところの列柱は円形ではなく、ハート型をしています。ここもハートか!ハートってもともとどういう意味だったんだろう。こういう使い方って少なくともラブアンドピースじゃないですよね。

柱にはパルミラ語が刻まれています。日本語のように縦でも横でも書ける文字だったとか。これは本物なんだー。



というのも。

パルミラ遺跡で有名なものの一つに四面門というものがあるのですが、16本の柱のうち、現存している本物(エジプトから運ばれた花崗岩らしいです。)は1本だけなんですよ。あとは全部復元。

パルミラ遺跡は崩壊した状態で発見されたようで、現在も修復中だそうです。道理で柱の頭の装飾やら、建造物のパーツらしきものがあたり一面に散らばっているわけです。このパーツ全てが修復された時のパルミラの姿はどれくらい古代の形に近付いているのでしょうね。

大通りの入口には、(みなとたちの歩き方だと終点だったのですが。)記念門があります。たぶん、写真などで見るのはこれじゃないかと。夜にはライトアップもされています。いたるところに施された装飾がすっごくきれいな状態で残っています。こういうアーチをどうやって組み上げたのだろう…。

で、ここにはラクダさんがいます、商売ですよ。大通りがだいたい2キロほどあるので、乗っていかなーい?5ドルだよーという感じ。さすがにこのローマ式の回廊は自分の足で歩きたいだろうという気がします。だいたい出口まであと50メートルほどになっても3ドルとはどういう勘定だ!初乗り料金かそれ!



大通りを歩いていると、他にもバイクに飲み物(ほとんどコーラ。)をのせて「1ドル!1ドル!」というおじさんもいたり。保冷ケースに氷をざくざく入れて缶ジュースを売りに来ていました。雲ひとつない晴天だったのでちょっと惹かれましたが水持参してるしなあ、それに今それどころじゃない、という状況だったんですよ。

ガイドさんが、



「ここにはローマングラスのかけらが落ちていたりしますよ。」



と言ったのが原因です。そら必死で地面に這いつくばりましたよ!え、どれがかけら?これ?ばーかこれは空き瓶のかけらだって!というか、ローマングラスの見分け方って何さ?とぎゃあぎゃあやっていたところ、コーラ売りのおじさんがひょっこりと地面から。



「ブロンズ!」



………え、なに、それは青銅器のかけらというやつですか…!!いやほんと、5ミリくらいのモノなんですが、博物館ではショーケースの向こう側でさわったこともなかったので、うれしくってうれしくって。あんまりに大騒ぎしたせいか、そのかけらをくれました。苦笑。コーラ買わなくてごめんおじさん……。(うわ最低。)他の人が買ってたからいいんだ。ガソリン代とか元取れているのかなあ。



なんというか、観光客が少ないんですよほとんど占拠状態です。昼近いせいか?とも思いましたが、今回の旅行、ほんとにどこも観光客が少なかったです。や、みなととしては人のいない遺跡の写真撮れていいのですが。

さらに、日本人がぜんぜんいない。シリア国内では自分の参加しているツアーしか日本人見ませんでした。(あ、留学生の子だけは見たかな。)うれしいといえばそうですが複雑な気分。



このパルミラ遺跡の中に車道が一本とおっていますが、ただの舗装道路ではありません。ローマ街道風車道、つまり、平らな石を敷き詰めてあります。この間の乗り心地は非常に最悪。笑。なんでも、歴史を感じてもらうための設計ということですが、舌噛みそうですよがたがた。古代ローマ人もこんな道で馬車に乗っていたんだー最速にしようとすれば大変だったに違いない。(当時、ローマ街道はどの道よりも伝達速度が速かったそうです。)

それよりも中央分離帯に植えられたヤシの樹がのきなみ枯れていたのが気になります。水…あげてない…の?



話は変わって、この車道を挟んで、列柱通りの対岸にあるのがベル神殿です。

パルミラ最大最古の建築物ということです。豊穣の神だった…かな?ほんとにおっきいです、パルミラ内では別格。

この神殿は、後年もさまざまな礼拝所として使われたようで、フレスコ画が描かれたり(ただほとんど判別できません。)しています。

天井はまた精密な彫刻…ちょっとイスラムっぽい。黒く煤けてはいますが。

頭が入らないようなところまで彫刻があったのでカメラだけ入れて撮影してみましたが、のきなみ失敗。たぶんこの石碑の置かれている場所、本来の位置じゃないんだろうなあ。



さて、パルミラ遺跡で一番の見所はこれらの遺跡を一望できる場所に建つアラブ城から見る夕陽でした。

パルミラの砂漠の向こうに緑が広がり、その向こうに塩湖が、そして砂漠が再び広がる眺望が素晴らしいです。その上、その光景が刻々と紅く照らされていくさまが見渡せるんですよ………!!荒廃した遺跡を照らす夕陽ってすごく幻想的です。うわあこんなの見てみたかったんだっ!

それから一番高い塔に行って、壁をよじ登って(危ないので基本的にはおススメしません。汗。落ちたら怪我ではすまないです。)落日を眺めると、雲ひとつなくて空がきれいなグラデーションで砂漠の町に来たんだーと実感です。

朝日もきれいですが、こちらは少し低いエラベルの墓から。アラブ城よりパルミラ遺跡を挟んで東寄りになる、のかな?アラブ城が綺麗に照らし出されていきます。ただ、みなとたちが見たときは、えっらい強風で高い所へ見晴らしを求めれば求めるほど飛ばされそうでした。撮った写真もほとんどブレまくるくらいすごかったです。



なんか、観光というよりほとんど倒壊した建築物の石にはりついて遊んでばかりでした。(子供…。)





=キリスト教関連=





主役は聖パウロです。

ユダヤ教徒として迫害の立場にいたのですが、イエスの啓示を受け回心、異民族への布教も行い、殉教したとされます。で、この回心の舞台がシリアなんですよね。回心の経緯は、パウロが現在のダマスカスへ向かう途次、イエスが現われ落馬し目が見えなくなってしまう。そしてイエスの言うままに再びダマスカスへ向かい、同じくイエスの命によって“まっすぐの道”を歩いてきたアナニアスによって目が見えるようになった、という話だとか。(はしょりすぎです。)

コーカブ教会、ストレート通り、聖アナニアス教会、聖パウロ門があります。



コーカブ教会はロシア正教会の手で再建されたということで、十字架の四辺がすべて同じ長さです。かつ、中はイコンで飾られています。

この教会はパウロが落馬した場所に建てられたとのこと。敬虔なキリスト教徒の巡礼が絶えないそうです。植えられている花とか綺麗に剪定されていました。



ストレート通りはまんま、アナニアスの歩いた“まっすぐの道”です。現在は普通に生活道路になっています。道脇に停めてある車の日除けに絨毯というかスカーフというか、きらびやかな布を何枚も重ねているのが目を引きました。結構古ぼけた街並み。

そのストレート通りの終点に聖アナニアス教会があります。アナニアスの住居跡とか。ここの十字架もまた変わっています。四辺同じ長さの十字架に、更に小さい十字架が十字架で仕切られた空欄四ヶ所に描かれています。



聖パウロ門は…見逃しました…。バスの中で居眠りこいてて…。(何しにいったんだ。)



その他に、イエスが話していたアラム語を現在も話しているというマルーラ村へ。

こじんまりとした村です。ここにはサルキス教会テクラ教会があります。最古の教会の一つといわれています。

テクラ教会は修道院で正教のようですね、修道女と神父の服装がちょっと変わっていました。この教会に来るには岩の隙間の道をずーっと歩かなければならなかったのですが、これ、テクラが迫害されそうになり逃げている時に岩が割れたという奇蹟の現場らしいです。はー…。岩よりその隙間で流れていた水の中のおたまじゃくしがかわいかったという印象の方が。ちまちまと尾ヒレをふっているのが…いっぱいでした。



実はキリスト教関連はみなとにとっては盲点でした…あたままっしろ。
posted by みなと at 18:08| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月24日

あらびあほてほて。その3。

〜たべもの篇〜






豚肉はいっさい出てきません。当たり前か。

肉はまずは羊、次にかなり下がって牛と鶏。あのマトンの独特のくさみに慣れていないとかなり試練です。みなとも苦手ですがスパイスがどばーっとかかっていれば無問題。美味しくいただけます。ただ、普段から肉も魚もほとんど取っていないから、大皿山盛りのメインディッシュはちょっと………どんだけ食っているんだ!もたれるー。



シシケバブは牛も鶏もほぼ羊肉とブレンドされていました。味付けによっては好みだったんですが、意外に脂っこかったです。



羊肉の料理で美味しかったのは、トマトベースの野菜煮込みです。あれもケバブなのかなあ。ご飯と混ぜながら食べるんですがこれがうっかり食が進むんですよ。これが出たときはほぼ完食していました。初日から最終日まで胃を壊していたんだからちょっとは節制しろよ。



えー胃を壊した原因ですが、まずはこの肉食の嵐と、もう一つはオリーブオイルの嵐だと思われます。



こちらのナンはとても薄っぺらいです。で、そこにアラブ風前菜を包んで食べるわけですね。(多分。)

前菜の種類も多彩です。香菜を刻んだものや、トマトやきゅうりをドレッシングで合えたもの、あとは、ゴマやヒヨコ豆のペーストなど。これらのほとんどにオリーブオイルがかかっているんですよね。ペーストはかけなくてもいいと思う……乾燥を防ぐためだろうか…。



トマトときゅうりが季節柄かよく出ました。きゅうりは日本のものより長さは半分くらい、代わりに太さは二倍はあります。それがまるごと出てきました。これに塩をちまちまつけながらかぶりつくのは旨かったですよー。意外にもシリアは野菜の自給自足率はほぼ100%らしいです。国土の半分くらい砂漠っぽいのになあ。

ただ、生野菜が出てくるときの飾りつけはすごかったですなんて言うか前衛芸術のオブジェっぽい。皿の上にキャベツがまるごと一個あってですね、それが花が開いているように葉が広げられています。中心部分には香菜の束が刺さっています。その隙間にまるごとのトマトときゅうり、オレンジやらが飾られているという。高さは30センチくらいか…?なんのゲームだこれ。



あとやたらとフライドポテトが出てきました。大量の肉にフライドポテト。なんとなくアラブ人の恰幅のよさの秘密を見た気分。

現にヨルダンでは平均寿命が60歳前後なのは肉魚中心の食生活に問題ありということで、野菜を食べよう!という運動もあるとかないとか。
ですが煮込み系になるとじゃがいもも基本はまるごとです。トマトのチーズ焼きもそう。



そうだ、チーズがですね、こちらのはごっつい塩ッ辛いんですよ!形が一見スルメっぽいのが要注意。激塩辛チーズです。色が白いので騙されたよ…!普通に長方形の固形をしたものも、スルメチーズほどではないですがかなり辛いです。これを茹でて少し塩抜きしてソースをかけて食べる地域もあるとか。茹でチーズの歯ごたえはむにゅむにゅしてゴムっぽいですが、これがチーズの中では一番美味しかったかなあ。

バスで長距離移動中、トイレ休憩を取ったところで、運転手さんがピザを食べていたのですが、このピザ、ナンの上にこの塩チーズと、トマト、ピーマン、唐辛子をのせて焼いたもの。ちょいちょいと手招きされたので行ってみると、「食べていいよー。」というジェスチャア。みなとはそんなによだれをたらしていたのだろうか…。ありがたくいただきましたよー。実は今回の旅行の中で一番美味しかった食事だったりします。

ツアー会社は食事の方法をちょっと見直してもいいんじゃないかなあ…一日一食はこういう現地の人が軽く食べているものでいいと思うんだ…。



あと果物がほんと甘くて美味しかったです。すももとか。ほら、スーパーで売るために青いうちから収穫してるせいか、微妙に青臭いじゃないですか。それが全然ない。多分熟してから収穫しているせいでしょうか、これが本来の甘味かと思うとちょっと感動でした。

ヨルダンの方ではパンプティングが好きでしたねーそればっか食べてた。

どちらの国もお菓子はかなり甘いです。……甘党なのかなーイスラムはお酒も不可だから。



下していた割に衰えないオノレの食欲って……。





〜いろいろ篇〜






お腹ついでにまずトイレ。(うるさいよ。)

ホテルですが。まあ洋式なんですけどね、その横に、便器と同じ高さ同じ大きさの洗面台みたいなのがあるんですよ。でも蛇口の形が微妙に違うし、洗面台は別にあるしなんだこれ?と思っていたら、どうもウォシュレットらしい。……使い方が分からない…。ひょっとして水を張って、その中にお尻をつけて洗えということだろうか…??やりませんでしたよ?



で、普通に観光中に入るトイレですが。

個室の壁の横からホースが突き出ています。これで水を流すのか?(実際、すぐそばにプラスチック製の水差しがあって、その中に水を溜めて流す方式もありました。)

はい、これもウォシュレットでございますよ。ちゃんと水を流すレバーは他にあるしね!洋式和式(和式じゃなくてトルコ式というのかなあ。)問わず同じように壁からホース。………さらに使い方がわからん……。どんなアクロバットをするんだこれ。

結局使わずじまいでした。



日本では女の子同士で手を繋いだりしますよね。

こちらでは男同士で手を繋ぎ、手を組んで歩いておられました。おじいさんだろうが若者だろうが、身体接触が実に近いです。初めて見たときはほんとにびびったよ!やましいおなごでごめんよ!

だけど目の前でお互いの頬にキスをする挨拶を見たときはほんとに固まりました……だって見慣れていないだけに…。



こちらの国では女性はできないもんなあ。着ている服が多いから…。

だけどあのベールの下はものすごく派手だと聞いたことがあるんですがホントなんでしょうか。確かに市場で売られている服とか下着とか、ありえないくらいにきらびやかです、ありえないくらいにきわどいです。思わず下着の意味ないよ!とつっこみたくなるシロモノも、店先にぶら下がっています。……ま、まあ、旦那さんはうれしいよね、そういうの…たぶん…。



装飾品もよりどりみどりでしたね。本物かどうかは定かではないですが、金細工のお店は多かった気がします。

ヨルダンでは結婚前後の費用を全て男性が持つそうですが、その中には「奥さんが美しく着飾るための費用」というものがあるそうで。エステ費用も含まれるのかなあ。(邪推。)

結婚にかかる費用が高すぎて、結婚平均年齢が5歳以上上昇しているそうです。



こんなもんかな。思い出したらおいおい…。(いらないから。)

あ、毎晩ホテルで五度目の礼拝のためのアザーンが聞こえていたのは印象的でした。だいたい21時ごろでしょうか?他の時間は観光に必死で聞こえていないみたいです。なので、アザーンを聞くと「あー一日が終わったー。」という感じでしたねえ。
posted by みなと at 15:33| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月23日

あらびあほてほて。その2。

〜ひとびと篇〜





イスラムっぽい服装と言っても、随分異なるものなんですねえ。男の人にしても女の人にしても頭にかぶっている布の種類や服装が全然違う。当たり前のことなんですけど、目の当たりにすると軽くカルチャーショック。



シリアでは特に文明の十字路的な側面があるせいか、白人系の顔立ちをしている人も珍しくなかったです。

当然と言えば当然ですが、あらゆる国がもんのすごく近いんですよ。ここから150キロ先はイラクですとか、この道を行けばトルコです、レバノンです。海の対岸に見えるのがイスラエルで奥がエジプトです……って本州と淡路島の距離しかないように見えるよ!っていうのがぼろぼろと。



うわあ、紛争地のど真ん中に来たんだなーと嫌でも実感。

当然、ライフルを持った軍人さんなども街中で普通に見かけました。特にシリアは徴兵制なのでガイドさんも軍人経験があるのですが、ちょうどレバノン紛争時だったため通信兵としてレバノンへ出征したとか。とてもしんどい経験だったそうです。



あっ、話が大幅にずれだした。何が言いたいかといいますと、シリア人、ヨルダン人、という区別はさっぱり付きませんでした。そらそーだ、もともとこのあたり一帯の国は一つの国として独立しようとしていた時期もあったんだし。普通はアラブ人と一くくりにされますからねえ。



で、この地域の問題の一つとして注目を集めているのにパレスチナ難民の問題がありますね。



シリアでは首都のダマスカス付近に居住区が定められ、そこに暮らしているようです。古びたアパートに巨大で錆びたパラボラアンテナが乱立しているのが目を引きます。人口に対する比率の話は聞かなかったなあ。あ、シリア人がどう思っているかも。

一方のヨルダンでは、1960年代の中東紛争から隣国ということもあり相当数の難民が流れ込み、今では人口の約半数近くがパレスチナ系と言われているとか。現国王の夫人もパレスチナ系だそうです。

難民とは言え、その歴史も古く、二世三世となってくると、貧困から脱出しそれなりに富を築く者、ヨルダン人と婚姻する者も出てきているとのこと。ガイドさん曰く、ヨルダンはイスラエルと国交を修復させてはいるが、心情としては国内に多くのパレスチナ人が暮らしていることもあり、パレスチナ人が独立国家を持つことが望ましいと考えている、のだそうです。



みなとの頭がヒートしそうなので、次。

砂漠といえば、あれですね、ベドウィン。



定住する者も増えているとは言え、やはり遊牧生活を送る人々も多いそうです。モンゴルとかと同じような事情なのかな…。

で、遊牧するには土地がなければならないわけですよ、水のある。ですが現代は所有者のいない土地、というのはあまりないですから、彼らはテントをどうするのか、といいますと。

シリアでは土地の所有者に“家賃”を支払って、一、二ヶ月テントを張るそうです。

ヨルダンでは「まあ、一、二ヶ月でいなくなるし。」と何も言わないそうです。基本放置。

なんていうか、国民性の問題なのか、頻度の問題なのかどっちなんですか。



ただ、遊牧の民とはいえ、ベドウィンには国籍があります。シリアに居住すればシリア国籍、ヨルダンならヨルダン国籍、というふうに。

ここはジプシー……差別用語でしたっけ、ええとそう、ロマ族だ、との違いですね。ロマ族に国籍はないそうで。



ですが砂漠を突っ走っている時、ガイドさんが、「ああ、あれはジプシーのテントです。」「あれはベドウィンです。」言われてもみなとには区別つかないよー!!

そうそう、ベドウィンのテントはヤギの毛でできていて一枚200,000円するそうです。さらに高級品のラクダの毛だと500,000円。高いな!手触りは、なんかもさもさごわごわしてました。むう。



このベドウィンの人たちはとても客好きだそうです。

現にみなともお茶に呼ばれましたよ自由時間にひとりでぶらぶらしていたら。お姉さん、おみやげ売りの商売はいいのかい…?(世界遺産の中で露天を出していた。)

のこのこ呼ばれたみなともみなとですが。焚き火で沸かしたお茶は種類は不明ですが(たぶんハーブかな。)蜂蜜入りで美味しかったですよー。で、お礼にフリスクをぱらぱら渡したら。



「…………メディスン?」



いやいやいやまさか。お姉さんは目をつぶってぱくっと口に入れましたが、慌てて後ろに置いていたコーラの缶に手を伸ばしていました。そっか、こっちの人たちは甘いものが好きなのか!とおそばせながらに気が付きました。代わりに予備のお水を出しました…。



話し変わって、アラブ人の方々ですが。

こちらは意外に人をからかうのがお好き……というかよく喋ります。お土産屋さんに入っても、明らかに商売とは関係ないことが80%くらいの勢いだったりします。……暇だから遊ばれていた可能性も否定できませんが。



シリアのホテルでチェックイン手続の間、ぼけーっとしていたらフロント係のおじさまにつかまり突如アラビア語講座を受けるはめに。なんだなんだと、他のフロント係もやってきて5、6人くらいに取り囲まれ必死で挨拶の発音練習ー……って覚えられないよーっ!(「アッサラーム・アライクム」こんにちは、とか「キーフ・ハーラク」元気ですか、とかいろいろ。)ぐっどもーにん!もまともに発音できない人間ですよ無理無理!

……え、なんでこんなに人間がいるんだ暇なのかあんたたち!!



お土産屋さんでもこんな調子で更にハイレベル講座が待ち構えていたり。

かなり巻き舌の入ったマシンガンイングリッシュ(←聞き取れない。)を浴びせられたりと、みなとはぽかんと口を開けることが多かったです。ごめん!中一の一学期レベルの英語で頼む!

ですが、それだけあやしいながらも英語を操りながら、「ノー。」だけは理解できない振りをするんですな。「ノーサンキュー。」がいまいち通じないんですな。間違いなくまだ筋はあると踏んで着いてきます。たくましいよー砂漠の民は!

いらないときは英語よりアラビア語です。「ラー。」と言えばほぼ諦めてくれます。たぶん。



お買い物の値段交渉のときは逆にこの手を使います。(特に市場。)

卑怯くさいんですけどーつまりですね、「マルハバ。」(こんにちは。)、「シュクラム。」(ありがとう。)、「ラー。」(いいえ。)、「ガリ(ワリ?)。」(値段下げて。)、この4つだけ覚えて交渉。ええ、はい、なんて知りませんよ?(笑顔)



よさげな店を見つけたら「まるはばー。」と挨拶して、店主のご機嫌を取りつつ、欲しいものの値段を電卓交渉。で、両腕を振りながら「ワリワリワリワリ!」と言いまくるという最低戦術です。(書きながらホント最低だと思った…。)まあ、よっぽどのことがないかぎり、無茶な吹っかけ方はしてこないので、割引率が高くはないですが。苦笑。

買ったのは女性用のスカーフ(かなり大きい。一辺120か130センチくらいあるかなあ。)と男性が頭につけているあれです、白地に赤か黒の刺繍が入って黒いわっかで留めているやつ。(名前なんていうんだろ。)黒いわっかはヤギの毛で出来ているそうです。結構固くてゴツイ。なので、わっかいらないから安くしてーと粘りました。

超有名なのは故アラファト議長ですね。店主は柄がおそろいのものがおススメだったようですが、アラファト氏とおそろいってだけで値段が上がったのにはびっくりしましたブランドかよ!

あ、この色にも一応意味があって、赤はヨルダン人、黒はパレスチナ人、白はベドウィン、だそうです。

みなとが買ったのは黒なのでパレスチナ人になってきました。だって、買ったその日から使い倒したから…日除けに冷え性の腰巻に居眠りの布団にと大活躍です。縫製は多少甘いので結構ぼろになってしまいました。うん、なかなかいい使い勝手。



問題は日本でどう使うかかな…。(使うのか。)
posted by みなと at 17:21| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月22日

あらびあほてほて。その1。

6月4日から6月16日まで、シリア・ヨルダンへ行ってきました。(とはいえ二日間はほぼヒコーキですが…。)あ、もちろんツアーです英語もアラビア語もできないです。

実はペトラ遺跡以外何があるのかよく知らないままに行ったのですが、旧約聖書に十字軍防波堤最前線に第一次世界大戦時のアラブ独立運動にと見所目白押しでした。ツアー参加者の方曰く、



「『十戒』『ベン・ハー』『偉大なる者の生涯』(←ちょっと題の記憶怪しいです。)『アラビアのロレンス』『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』をまず見ればいい。」



とのこと。課題映画多すぎしかも超大作ばかりですよ…海が割れるシーン(『十戒』)と馬車対決(『ベン・ハー』)しか覚えてないですな…。



まあ、いつものごとく自己満足旅行記をぼつぼつ書いていきたいと思います。こちら方面に旅行を考えている方に何の為にもならないシロモノです。





〜乗り物篇〜





エミレーツの飛行機だったのですが、各座席に一台ずつ液晶テレビがついていることに衝撃。窓側に座っていなくても離着陸の瞬間が見られるという素敵なサービスでした。(離陸の瞬間が好き。)他にも映画とかニュースとかゲームとか。結局みなとは音楽しか聞いてませんでしたけどね…操作がめんどい。

座席の間隔もゆったりめで長距離向けな作りはよいのですが、座席も高いです足が届かないのはみなとの短足だけが原因ではないはずだー!足置きもありますが、テイクオフの際には容赦なくスチュワーデスさんがそれを片付けてしまいます。この不安定な状態の方が危険な気がしないでも。



行きはよいよい♪、ではないですが、帰国時はほんと空港でも飛行機でもトラブル続発でした。や、空港は個人的なものですが。



帰りはヨルダンのアンマンからアラブのドバイで中継して日本へ帰国、というルートでした。



で。

アンマン空港なんですが。

日本では金属チェックに引っかかったら身体検査になりますが、こちらでは全員有無を言わさず身体検査です。(しかも荷物チェックと共に二回行なう。)うわー厳重ですねえ。

イスラム国なので、荷物をチェックに回すと、女性はカーテンで外部から見えないよう仕切ってあるブースへ誘導されます。まあ、係官の指示がなくとも流れを見ていたら分かるので、さっさと行っちゃうわけですが。

そして一回目の時もさっさと終わらそうとカーテン開けて入ろうとしたら、中にいた女性係官が、



「ストップ!アーユーマン?オア、ウーマン?



どおいう意味だああああ!!!性別で引っかかるなんて想定外ですよ!しかも一度で終わらなかったんだな、これ…。



次に出国審査がありまして、パスポートを渡して顔が見れるように高くなっている係官のデスクにぶら下がっていたんですよ。そうしたらこれまでの人たちの審査と違って明らかに怪訝そうな顔でじーっっと見てくるわけですな。しばらーくみなとも考えて、まさかとは思うが、と



「アイム、ウーマン。」



言ってみたらビンゴですよ…。幸い声だけは高いので、口開くと分かるみたいです。



「オオー!オーケー、オーケー!ユアネイム?」



このやろう……名前を言ったらデカイ声で謎の曲にのせて二回も復唱されました。



そして二回目の荷物・身体チェック。

荷物を流して、女性ブースへ向かおうとしたら、男性係官に阻止され、男はあっちだというジェスチャア。ねえ、ほんとに男のコーナーへ行ってもいいですか…??ですがそこで何の問題もなくチェックが通ったらそれはそれで悲しいので、三度女性主張をして、女性ブースへ。

こちらは何も言われずチェックしてくれました……が、終了後に。



「アーユーウーマン??」



致命的ダメージ。

待ってお姉さん!みなとの胸の辺りもチェックしたよね??その上でその発言ですか、え、マジで?

ツアーのおばさま方から「胸パット入れなさい!ブラ付けなさい!」と言われました。だから湿疹がひどくて付けられないんだよ…。



次、ドバイ空港。

夜中の2時3時でも飛行機をかっとばす24時間空港です。まわり砂漠だもんね。(ちなみに日本行きは2時台でした。)

中継…なんですがこの空港内で5時間待ちです。探すは免税店ではなく寝る場所でしたね。道理でで寝てる人が多いわけですよ。みなとも最終手段はそれをする気満々でしたよええ。リクライニングシートを見つけたのでいそいそと占拠しましたが。



ここでオーバーブッキングしたんですね…。何席かやられたらしいのですが、添乗員さん以外は何とか確保…ってええ?添乗員さんなしで帰国?ほんと機内乗り込みすれすれで、添乗員さんも同じ飛行機に乗れたので良かったです。



で、ほっとしたのもつかの間。飛行機がいつまでたっても出発しない。せめてシートベルトランプが消えればいいのですが。いや、それ以前に遅れのアナウンスが全く無いのはどういうことだ!

座席に括りつけられ事情が分からないままに待つこと2時間。飽きた…。

どうも体調不良の人が出たらしいのですが、とりあえずアナウンスして…もうこの時点であと9時間ももたないよと思いましたね。それにしてもベルトランプが消えた途端にトイレに長蛇の列…皆さん我慢していたのでしょうねえ。





飛行機の次は車ということで、まずシリアの方から。



貸しきりバスで回っていたのですが、そのバス、後部座席にお茶会空間が設置されていました。ソファっぽくコの字型に座席が置かれていて、真ん中にテーブルです。座席の一辺はゆうゆうと足を伸ばして寝ることができます。みなとの指定席でした。(他の人来ないし。寝るの大好き。)



シリアのタクシーはみんな黄色です。道路の半分、いえ三分の二くらいはタクシー。うおお目に眩しい!

なんでも、自動車自体が高級品の上、税金が150%と大変高額なので自家用車率が低いそうで。基本的には相乗りするなどタクシーが市民の足だそうです。

ちなみにタクシーに日本車はほとんどないです。韓国中国ノルウェーあたりとのこと。日本車は高いから微妙に敬遠されているようです。市場開拓、中東辺りはまだまだ穴のようですねえ。「ですがタクシーは中古ではなく新車ですよ。」とガイドさんが言っていましたがそれはどういうフォローなんでしょう。



うん、そこまでは理解できないでもないですが。

あのタクシーは一体何人乗っけられるのだ。普通の車ですよ?なのに8人くらい中から出てくるんですよ?どんな曲芸使ったらそんなに乗れるんですか!

その上、あのタクシーは一体どんだけ荷物載せてるのだ。国境で見たタクシーなのですが。車高が倍以上になるくらい荷物を載せ、かつ後部のフタは当然全開で荷物を溢れさせている、そして人間は6人。なんのギネスに挑戦しているんだ!というかよくここまで走って来れたな……。過積載どころの話じゃないですよ。過過過積載だろあれ。



おっちゃめーな車もありました。

大型バスで行けない遺跡があるから、マイクロバスに乗換えまーす、と指示された車に乗りましたがどう見てもワンボックスカー。がたぴし言ってそうなワンボックスカー。

で、何がお茶目かといいますと。車体に窓にマジックで色々らくが…いえいえ模様が描いてあります。ええ、フロントガラスにまで。普通に危ないです。そしてそのらくが(略)ほとんど赤とピンクなんですな。ハートマークが飛び散っているんですな!何故ハート…。

車内もハートの飾りが何個もぶら下がっています。ガラスの周りは造花で飾り付けられています。ピンクハウス誤解バージョンだろうか…。どんな乙女な運転手なんだーと注目していると入ってきたのはただのおっちゃんでした……誰の趣味。





ヨルダンの方では。



こちらは自家用車率が上がります。それでもシリアとの比較の問題でまだまだ一般に普及するまではいっていないようですね。主力はやはりタクシー。



こちらのタクシーは黄色は好きなところまで行ってもらえるものですが、白色のタクシーは違います。乗り合いタクシーで行き先が決まっています。バスみたいなものですね。なので停留所がちゃんとあって、お客さんが4人乗ったらはい出発。

バスがないのかというとそうではなく、バスもあります。どういう住み分けになっているのでしょう。



添乗員さんがスーパーに行きたい人はご案内しますーと言ったので、便乗して何人かでタクシー黄色を2台捕まえて行ったのですが、どうも前の方の動きが怪しい。ぴっと道の脇に止めたかと思うと、あたふたと後ろの方に運転手が駆け寄ってきて、運転手同士何かしゃべっています。(ちなみに行き先を告げた添乗員さんは後ろに乗っていた。)

どうやら、前を走っていた運転手さんは、英語が良く分からなかったので行き先がわからなーいと同僚に助けを求めたらしいです…ってえええっ!?行き先分からずに5分も飛ばしてたのかあんた!商売にキュートな笑顔の条件はクリアしてても何か間違ってますよそれ。



ヨルダンでは交通法規の罰則が非常に厳しいです。

運転手が、信号無視をしようものなら執行猶予なしの懲役刑です。(要するに刑務所送り。)事故無事故関係なし。すごいですよ日本でもやりませんかね。そうすれば駐車場で逆走した挙句に、標識どおりに走っている車に文句垂れるアホ親父とか壊滅できるんじゃないか。……まあ、日本の交通刑務所って収容人員を軽く超過している現実もあるのでなんとも言えませんが。

交通量の差もあるのでしょうが、普通道路の制限速度は80キロ、高速は100キロだそうです、うろおぼえー。



でも、こういう場合はどうなるんだ。

乗っていたバスが高速を走っていたんですよ。順調にがんがんとばしていたところ、急にがくんとスピードが落ちたんですね。なんだなんだと皆前を見てみるとですね。

5、6台の車が白い紙切れ撒き散らしながら道に広がって30キロくらいの速さで走っているんですね。

ええええ何が起こっているんですか?!ここ高速道路ですよね?

しばらくすると、バスの存在に気付いたらしく、左車線を空けてくれたのですが、追い越しの時に見てみると、サンルーフは片っ端から開けて子供が顔を出し、大人は大人で運転手含めていえーいとノリノリで手を振ってます。なんなんだー。



「どうやら結婚式のお祝いみたいですねー。」



とガイドさん。いや、かなり迷惑な祝い方だろあれは。紙どうするの。



そういえば。

イラク戦争の影響で、ヨルダン唯一の港アカバがパンクしているそうで、アカバへ向かう高速道路の途中にトラックステイションが設けられています。ここで港に運び込む荷の量を調整しているとかで、50台?100台?とにかく相当数のトラックがストップしています。

イラクの港が破壊されたために、中東で産する天然ガス輸送に支障をきたしてアカバでも受け入れているが追いつかないとか。

ここまで運転してきた人はこの砂漠のど真ん中でずーっと待っているのか気になりました。それとも、アカバへのピストンバスとか出ているのかなあ。

日本では産しない天然資源の山がここに眠らされているのかー。蛇口の栓がどこで閉まるかなんて想像もつかないもんだなーと思いました。





なんか長くなりすぎた気が…。
posted by みなと at 15:26| Comment(2) | てくてく・中東篇

2007年06月16日

帰ってきました。

帰国便でトラブル続発しましたが無事に帰ってきましたー。

オーバーブッキングやら、乗り継ぎ便待ちで五時間プラス二時間遅れ。へろへろ。お布団が恋しいです。
posted by みなと at 19:19| Comment(0) | てくてく・中東篇

2007年06月04日

ではでは。

ではでは。
いってきます。

あめりかさんとかあまり刺激しないことを祈りつつ。←シリア・ヨルダンですので。
posted by みなと at 15:50| Comment(0) | てくてく・中東篇