2013年03月28日

三国志ガーデン2周年プレイベントに行ってきた。そのよん。

 この「三国志Q&A」の講座、次回は5月25日(土)で、テーマは袁本初、公孫伯珪、曹倉舒だそうです。

 以下個人的めも書き。
 『龍谷大学竹内准教授「三国志Q&A」』黄公衡のぶん。

Q.降将であるのに、麋子方、于文則と違い、なぜ侮られずに魏蜀から高い評価を受けたのか。
A.(麋子方は呉に降った後、虞仲翔に侮られる。于文則は呉でどのような扱いを受けたかは不明、魏に戻った後、曹子桓に侮られる。)降伏の仕方ではないか。野戦で蜀にも戻れず、呉に降ることも潔しとせず、魏に降ったという経緯。自害は中国の美徳ではない。興味深いのは黄公衡の伝が立てられているのは蜀書だということ。

Q.(実際に劉玄徳による漢中攻略を献策したのは、法孝直なのか、黄公衡なのか。という問いだったと思います…めもしてなかった。)
A.漢中を取れ、と言ったのは法孝直だけというわけではなく、黄公衡も含めた、法孝直のブレーン集団が献策したのではないか。

Q.黄公衡は劉季玉の元では文官、職では武官、そして魏では最終的に驃騎将軍・儀同三司となっているが、もし蜀に残っていたら最高位はどうなったか。
A.諸葛孔明の生前であれば驃騎将軍、諸葛孔明の死後であれば大将軍・大司馬だと思われる。蜀は文官であっても武官の地位が与えられるほど軍事色が強い。諸葛孔明後の文武のトップが必ず大将軍になっていることからも見て取れる。また、三公の上に立つ丞相位は諸葛孔明のみだったのでそれが与えられることはないと思われる。
posted by みなと at 20:27| Comment(0) | 三国志関連の講演会
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