2010年02月28日

1 木々の間を駆ける清流

 さらさらさら。

 荀文若は足を止めた。南へ下って行くと乾燥した空気からひどく湿気を含んだ空気へと変化していくのは大河のなせる業だろうか。思えば、北の大地は廻り歩いたが、黄河より南へ足を踏み入れたことがこの人生で幾たびあっただろうか。

 中華は広かった。中原しか知らぬ身、あるいはこの先も新しい世界が開けているかもしれぬと思うと心も躍る。どれほど大きな懸案だろうと、時に忘れることもまた良き哉。

 この身は澱みのように宮奥深く沈めて居ればよい、そう思い定めた日も遠い。

 快い風、青い空があったことさえ忘れていたのではないだろうか。

 大陸を駆け抜け続けた人間にとって、宮の暗さがどうにも耐えられず、放り出すように外へ飛び出していくことも致し方ないのかもしれない。そして今度は自分も。

 老いた、と思う。外を見るのはこれが最期かも知れない、そう思ったとき、巷間でどう噂されようと構わないから軍旅に従うことを強く望んだ。丞相が眉を顰め――あるいは持病の頭痛が出ていたのかもしれないが―暫し沈思したが、軽く頷いて見せたのも深くは考えていなかったのかもしれない。結局、我々の間でことを決するということは軽い出来事でしかなかった。風の便りに流された噂に自分も驚いたが、丞相はさらに心外だったかもしれない。

 さらさらさら。

 何もかも流れのように。

 さして当事者間では深刻なものなど何もないのだ。記号を読み取るのは周囲に任せるとしよう。

 さらさらさら。

 私は、ただ、この解放されたときが楽しく、とても愛おしいだけなのだ………。
posted by みなと at 21:27| Comment(0) | くうのふたひ。こばなし
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