2010年01月03日

延煕八年、つづき。

 曹爽は焦っていた。己には太傅、司馬懿に匹敵する赫々たる武勲がない。その焦りに腹心のケ颺らが甘言を囁いたのだった。

 魏にとって蜀は小国であったが、度々の侵略に悩まされているのも事実だった。この小煩い僭称者を攻略できれば、その功は間違いなく司馬懿以上のものとなる。実権を奪ったとは云え、隠然たる勢力を朝廷内に持つ司馬懿の存在は、曹爽らにとっては脅威であった。何晏らが確固たる地場を作る為に、尚書として人材を集めているのも、ひとえに司馬懿への対抗の為だった。

 その陰惨な権力闘争の結果引き起こされた外征である。

 士気が低い訳ではなかったが、準備不足を早くも露呈し始め、行軍の先々で物資の調達を行うも充分とは云えず、不安を助長していた。

 調達といえば聞こえが良いが、要するに現住民からの収奪である。関中に住まう漢人のみならず、羌人、氐人らの人馬を酷使したことによって家畜たちが次々死に絶え、彼らは泣き叫ぶしかなかった。

 そして満を持して待ち受ける蜀軍と天嶮の興勢山を始めとする山嶺が立ちはだかった。



 戦いが長引くことはなかった。事を起こすは無謀であっても、利に敏い者がいない訳ではなかったらしい。姜維は陣が引き払われた跡に立った。

 犠牲が少なかったことは喜ぶべきことだ。否、完璧に敵を退けたのだ。それでも姜維は戦い足りないと感じていた。

 風に乗って悲壮な歌声が聞こえてきた。



 路に飢えたる婦人有りて

 子を抱きて草の間に棄つ

 顧みて号び泣く声を聞けど

 涕を揮ぎて独り還らず

 未だ身の死する処を知らず

 何ぞ能く両ながら相い完からん

 馬を駆りて之を棄てて去る……



 泣き叫ぶ声は、自らの糧とするべき家畜たちを奪われた怨嗟に充ちていた。それは漢人であろうと異人であろうと変わりはない。

 姜維の乗る馬に縋り付いてきた羌人の子供を振り払うことも出来なかった。



 夏四月朔、日食が起こる。

 それが暗示したのは、曹爽の没落であったのか、それとも、蜀の暗雲であったのか。
posted by みなと at 19:32| Comment(0) | くうのふたひ。こばなし
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