2010年01月01日

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします!



新年更新ならぬ小話。延煕八年。





 閏月、漢中は軍馬の嘶きに満ちていた。昨年より蒋琬から漢中の守護を引き継いでいた鎮北将軍、王平の下知によるものだった。護軍の劉敏が与えられた五千の兵を率いて進発する。暫く遅れて参軍の杜祺も同数の兵を率いて向かうのは漢中の西北、漢水支流の畔に位置する興勢山だった。

 春二月、魏の大将軍、曹爽が総勢七万の兵を率いて長安を進発し、長安を拠点に先鋒は駱谷に入ったとの報が届いた。王平はその軍に対抗する為、山地を生かした陣を敷いたのである。既に、蜀軍本体の在る涪へ早馬を飛ばしているとは云え千里もの距離があった。援軍到着まで暫しの時が必要だった。同じく成都へも急報しているとは云え、こちらは更に遠かった。

 王平は、漢水を下り黄金谷へ布陣する為の精兵千余りの選抜に着手した。



 成都より仮節を与えられた録尚書事の費褘が進発したとの報が行軍中の姜維の元に届いた。大将軍をも前線へ出さねばならぬ程の危急の事態だった。

 鎮西大将軍と涼州刺史を兼ねる姜維はひとつ息を吸った。病がちの蒋琬に代わり、先鋒として漢中へと急行している道中、姜維は胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。夢にまで見た魏の本隊との戦いが始まろうとしていたのだから無理からぬことだった。

 これまで、一軍を率いて辺境を騒がせてきたが、中原を略するには未だ程遠い道程だった。姜維は、故諸葛亮の元でも最前線に立つことは少なく、主に兵站を担当していた。

 無論、後方支援を軽視するはずはない。しかし、彼が望んだ功は飽く迄戦場に立って得られるものだった。千載一遇の機会に多少の打算もないとは云えない。だが、彼は純粋に戦場へ立つことへの喜びで身体を満たしていた。
posted by みなと at 20:42| Comment(0) | くうのふたひ。こばなし
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