2007年04月02日

すたんーずほてほて その9。

今日実家にサマルカンドから送ったハガキが届きました。

そういえば中国・黄龍から送ったハガキ(昨年10月)がまだ届いてないよ…。


〜ブハラ篇 その3〜




カリヤン・ミナレット一帯はブハラでも旧市街に位置しており、この周辺にはこれでもかと遺跡たくさんあります。

で、次。




タキ(もしくはトキ)、と呼ばれるドーム型の市場をいくつか。交通の要衝である交差点に作られることが多かったそうです。現在もお土産屋さんが入っています。

コウノトリの形をした曲がったはさみ(飾り切り用)とか、コーヒーでかいた細密画とか、なかなか面白いものが売っていました。

当時は「両替屋」「宝石屋」「帽子屋」と売るものによってタキが異なったようです。


ウルグベク・メドレセは、使用されている文様もこれまでのものとは異なり目を引きますが、入口の碑文に特徴があります。


「知識への切望はそれぞれのイスラム教徒の男女の義務である」


女性にも学問の門戸を開いた画期的な碑文です。

ウルグベクはアミール・ティムールの孫に当る人物ですが、天文など科学的なことに強い関心を示した君主だったそうです。ですが、ティムール帝国の混乱を収められず、長男に殺害されるという末路を辿ります。この事件においては宗教指導者がウルグベクの進歩的な考え方を嫌ったという一面があるのではという推測もあるとかなんとか。興味深いなあ。


道を挟んだ真向かいにアブドゥルアジズ・ハン・メドレセがあります。規模においてウルグベク・メドレセを大きく上回ったそうですが、残念ながら修復中だったので、どのくらいすごいか分からなかったです。ごめんねアブドゥルさん。(略すな。)


次はマコギ・アッタリ・モスク。これも砂に埋もれていたのを掘り出して発見されたそうです。一体このあたりはどれだけ砂が積もっていたんだろ。

彩色はほとんど剥げ落ちているのですが、それはもう細かい装飾が掘り込まれています。

そしてその文様の中に8の真ん中に横一本の線が入ったような文様が刻まれているのですが、これはゾロアスター教で無限を表しているそうです。つまり、後の時代にはイスラムモスクとして使用されているが、元来はゾロアスター教の寺院ではなかったかと推測されているとか。

そういえば、8って横に倒すと∞(無限大)になりますからねえ。ゾロアスター教が起源なんだ?

一神教であるはずのキリスト教やイスラム教に「悪魔」の概念が入っているのはゾロアスター教の二元論が影響を与えているっていうしなー。すごいな拝火教。

話がずれましたが、現在このモスクは絨毯博物館になっています。中は微妙に薄暗いけど…。


リャビ・ハウズは人工池で、その周囲を取り囲むようにナディール・ディヴァン・ベキのハナカとメドレセがあります。

あとは地元の人たちの憩いの喫茶どころ。お茶飲みながら(お酒かもしれません。)楽器弾きながら歌っているおじさんたちとか。ほのぼの。


ハナカはスーフィー派の神殿で、メドレセはイスラム教の神学校です。もともと、メドレセはキャラバン・サライ(隊商宿)として建設されたのですが、スーフィー派長老の忠告でメドレセに変更になったとか。(このあたりの経緯がいまいちよく分からない…。)

メドレセの入口正面の絵がなかなか面白いです。人面の太陽が真ん中にあって、左右に不死鳥が飛んでいるという……よく熱狂的なイスラム教徒に破壊されなかったなあ。タブー犯しまくりでないの。


メドレセの前にはナスレッディン・ホジャの像があります。ロバに乗って粗末な服を着て、靴が脱げかかっていました。(なぜ…。)

とんち話など数多く伝わっているそうですが、民衆が彼の人徳を慕うあまりいいことがあれば全部彼のおかげだ、ということになってしまい、真贋の程はわからないそうですが。……あー諸葛さまがっていうノリですね。苦笑。


はい、これでやっとブハラ終了です。長いわ!
posted by みなと at 14:58| Comment(0) | てくてく・中央アジア篇
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