2020年02月03日

三国志前後の書について、あれこれ。

 某お習字のお手本だけ取っているのですが、そこに鍾繇の記事が出ていたので、前後も併せてざっくり個人的にめも。『習字の文化史』というタイトルで島根大学の福田哲之教授が連載されているのですが、ある程度まとめて書籍化してくれると嬉しいなー。

 以下めも。

------


 後漢末に隷書を簡略化した章草が流行したということで、かえって『非草書』という著作がなされるのが面白いです。著者は趙壱。草書はそもそも早く書くためのものなのに、私信を慌ただしくて草書で書くいとまがない、というのはおかしいんじゃないか、といった批判が書かれているとか。書を鑑賞する萌芽がこの時代にあらわれているのですが、この章草で名を知られる張芝は処士として生涯を過ごしたことからも見えるように、あくまで章草は「私」のものだったようです。
 そして「公」の文字とされる楷書といえば鍾繇、と現在では言われていますが、南北朝時代には鍾繇は三体を善くするとされていました。隷書・楷書・行書のことです。しかし、このうち隷書と行書で評価される作品が、長い年月の間によりどころを失い、オリジナルではないとされます。結果として楷書がクローズアップされることになったようです。
 とはいえ、その楷書の作品にしても、宋代以降とされていて、模写が繰り返されたもののため、原本との関係がはっきりとはしません。しかし、走馬楼三国呉簡との字体の比較により、楷書の確立がなされていたことははっきりしているようです。
 唐代以前における書論では「四賢」(張芝・鍾繇・王義之・王献之)の優劣論がひとつのテーマだったことも面白いなーと思いました。

------

 そういえば、なにで目にしたのか忘れてしまいまいたが、南北朝時代に、六朝体という非常に個性のある字体が石刻で残っています。個人的にはいちばん好きな字体なのですが。その字体は実は筆を執って書いた人の書体なのではなく、彫った人の流派なのではないか?という推論なのですが。
 これちょっと興味深くて、たとえば、有名な書であればその筆跡を見ながら習字をするのを臨書というのですけれど、私が書いているのは著名なこの人の書ではなくて、職人としての無名の人の字を写し取ろうとしているのかしら……。
 そこで、曹操のお墓からの発掘品で、名札があったじゃないですか。これはどういったものなのかと記録された……あの文体がですね、見事にばらばらというか統一が取れてない感じが個人的に面白かったのですが。案外、目録を書いていた人の文字はきれいだったのに、急ぎ仕事で彫り手の未熟さが出た結果だったとしたら面白くないですか。もちろん逆もあり得ますけど。

 なんてことをつらつら想像するのも楽しいです。
posted by みなと at 18:18| Comment(0) | 三国志関連めも
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。