2016年12月14日

チェルノブイリツアーに行ってみた。そのいち。

 今年の10月7日から一週間ほどウクライナに行ってきました。『東浩紀と行くチェルノブイリ産業遺産と歴史都市キエフをめぐる7日間』というツアーです。概要はこちらで。私自身はあまり深刻な理由もなく、ただ、映画『ストーカー』の世界観を体感したい、というぼんやりとした理由で参加しました。廃墟もえといった感覚はもう少し遡った体験があるのかもしれませんが、それはまたおいおい書くかも。
 ツアーはそれ自体だけではなく、開催前後にセミナーも東京であったりして、まあ、地方在住者には金銭面と時間面で参加のハードルは高めではあるのですが、とても面白い体験でした。そんなメモをちょろちょろ書いていこうかと思います。

 まずは続きからさらっとウクライナのご飯とかの話。
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“ 庭にリンゴの木。腐って黒ずんだ実がまだぶら下がっている。タバコも昔どおり栽培しているという。
「魚もリンゴもなんでも食う。それでいい。どうせ先は長くないし」
 手の甲の入れ墨を隠しながら言う。兵隊でシベリアに行った時、汽車のなかで入れた。単に「シベリア」とウクライナ語で。
 疎開先の家族のことだけ案じている。ビクトルの場合、八年前の原発事故と、それよりもっともっと前のシベリア行きが、同じ重さで記憶されているみたいだ。そしてシベリア行きの汽車のなかでのように、いま、腹をくくっている。だから、なんでも食う。「自棄」に似て、しかし異なるなにか。なんだろう、それは。”
『もの食う人びと』著:辺見庸(角川文庫)

《ご飯のはなし》
 ウクライナはとにかくご飯がおいしかったです。肉とチーズとスープに外れなしって感じでした。旅行前にひとから聞いた「ソ連に行った時は肉だけで野菜はキュウリ一本しかなくて」という話は嘘か真か判別しかねることではあったのですが、全然そんなことはなくて。
 今回初めて知ったのですが、ボルシチってロシア料理のイメージがあったのですが、ウクライナが発祥だそうです。このボルシチがほんと美味しくて!最初はそのまま食して、次はサワークリームを入れて頂く。味が変化するんですね。そして最後にはニンニクのすり下ろしを。味が変わっていくのにどれも美味しいので、これはずるいだろ……。あと、赤味がトマトの赤じゃないなあと思っていたのですが、ビーツという野菜を入れるそうですね。これで黄色寄りの赤が若干紫色の入った赤味になる。このボルシチの赤さの度合いで料理上手を判断するという話もあるそうです。
ボルシチ
 今回は食べませんでしたが、このボルシチと併せて、サーロという豚の脂肪の塊の料理を食べるとか。パンにのせて、なかには少し生の豚肉が入っていたりするそうです。冗談ではありますが、イスラム教徒がウクライナに攻め込んだ時、食べるものは全部持って行ってしまったが、豚は残されたから生き延びた、とか。
 ほかにキエフカツレツという鶏肉にチーズを挟んだものも美味しかったです。衣がちょっと固めでぱりぱりしてるし、鶏肉は柔らかでとにかくでかい。
キエフカツレツ
 いや本当に、料理がすごく多いんですよね。人を呼んだ時はテーブルの上に常に料理を出してもてなさないと失礼、という考えがあるそうで。でも同時に料理を残すのは失礼でもあるとかで、これはどうしたらいいんだ……。
炒めたおかずが美味しかった。何て名前ですかね。
朝ごはん
 ケーキなどの甘いものにも事欠きませんでした。クレープ生地にカッテージチーズ?かな?を挟んでくるんだものとか大好きでした。あとアイスが美味しい。バニラアイスは正義ですね。売店で食べてました。
おすすめアイス
グルジア料理店のデザート。イスラム圏由来だったような。

《言葉とナショナリズムのはなし》
 アルファベットはまず街中で見かけることはありませんでした。キリル文字です。ソ連時代はロシア語が公用語だったので、基本的にロシア語は通じるそうです。ですが、現在の公用語はウクライナ語です。このウクライナ語も地方によってかなり訛りがあるということで、ベラルーシ訛りだったり、西の方だとポーランド訛りだったりするとか。
 ロシアとの関係の悪化もあり、ナショナリズムは様々な場所で感じることがあります。ウクライナの国旗は黄色と青色で構成されているのですが、鞄につけたりするリボンや公共のバス停など、至るところでこの二色に塗られています。
 また、白ロシア、という言い方に反発を感じる方もおられます。ウクライナの歴史については、『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』著:黒川祐次(中公新書)がとても読みやすくておすすめなのですが、もともとロシアという言葉の起源はキエフ・ルーシ公国にあります。このルーシが語源とか。そこで正確には白ルーシと言うべきだと。あ、余談ですが、コサックもウクライナが起源で遺跡などは南の方に残っているとのことでしたが、少し治安が悪いのと交通機関の乗り継ぎに苦労するので地元のガイドを雇った方がいいかも、とのことでした。
 キエフ市内ではストリートアートとは別に、公共機関に届出をすればビルなどの壁面に絵を描けるということで、街中でちょっと変わった巨大な絵を目にすることがあります。
これはストリートアート
これが壁画
 その絵でも、ウクライナを鷹に、ロシアを蛇に見立てて、蛇を倒す絵があったりします。
 現在のウクライナの概要については、在ウクライナ日本大使館のホームページがざっくりまとまってると思います。

《トイレのはなし》
 重要ですよ、ええ。個人的にトイレに興味があると言ってしまえば、身も蓋もないのですが。
 トイレで紙は流せません。ゴミ箱に入れるのが普通です。
 あとツアーの性質上、野性的なトイレも多々ありました。トイレットペーパーは持参しておいた方がいいと思います。海外旅行ではトイレットペーパーひとつ持っているだけで安心感が違いますし。暗いところが苦手な場合はヘッドランプがあると便利だと思いますが、あんまりはっきり見えても、どうなんでしょう。
 男子トイレには「M」のマークが、女子トイレには「Ж」のマークが書かれています。キリル文字での頭文字だそうです。

《事前セミナーと事後セミナーのはなし》
 事前セミナーでは、東浩紀氏と上田洋子氏による旅行時の留意点、どのような施設を回るか、簡単なロシア語講座などと参加者の自己紹介などがありました。ひとりでの参加の方がほとんどでした。
 このときに印象に残ったことをいくつか。
 まず、博物館ではほぼ展示物についての説明文は置かれていなくて、基本的にはガイドによる口頭説明である、ということです。
 そしてチェルノブイリ原子力発電所の事故によって、ゾーンとして立ち入りを規制されている区域については、そのことによって30年あまり前のソ連時代の町がそのまま残されているということ。言われてみれば当然なのですが、そういった文脈で理解はしていなかったなと。
 廃炉作業の続く原子力発電所の見学なので、観光地化しているとはいえ、作業の合間に案内している現状なので直前まで日程の詳細が決まらないこと。これが本当にすごい理解できる事態に遭遇することになるとは思わなかったんですけどね。
 放棄された街として知られるプリチャピについては、今では全く管理されていない廃墟なので道路は普通に陥没しているため、歩く時は気を付けること。1970年代、チェルノブイリ原子力発電所の稼働と平行して作られた、当時の先進的なモデル都市であったこと。現地の著名な芸術家たちが製作したモニュメントがそのまま残されていること。
 東氏にとって、この原子力発電所はデザインや科学力含めて誇大妄想的な産物ではないのか、20世紀とは技術を使いこなせないままに科学を利用していたのではないか、今回の旅では、もう今後作られることのない巨大建築物を目にすることになるだろうと。そもそも米ソのロケット工学の発展も、互いのスパイ合戦により技術を盗み合っていたので、実質共同開発していたようなものだと。
 ダークツーリズムにおいて、多人数で行くことによって多様な視点を得ることができるのではないか、ということを話しておられました。

 事後セミナーでは、ツアー参加者が個人で撮った写真を3枚選んで、その撮影意図を話すということが中心でした。旅行中に他の方の撮った写真を見るというのはかなり面白かったです。同じところに行っても見てることが違うということの体感ができる、ということと、今回のツアーで見たこと聞いたことが、日常の人間関係の中で共有できないということを確認できたりしました。これは私個人ですが、「なぜチェルノブイリに行ったのか?」というところを話の出発点にされると結構厳しいです。それほど明確な目的があったわけでもないので、そこで話が終わってしまう。まあ、見聞きしたことの消化がかなり遅い方なので、あまり突っ込まれると余計に話せない可能性も高いわけですけど。写真の現像の話ではないですが、写真と向き合うには時間がかかるものです。
 旅行の記録については、写真家の方の方法がとても面白かったです。この記事を書いておられる方なのですが、まず、撮影用のカメラとは別に、20秒に一度シャッターを切る小型カメラをずっと首に下げておられたとか。その画像によって写真として意図していないものが撮れる、例えば最も多くの時間を過ごしている飛行機やバスのバックシートが延々と撮影されている、また日常の光景としての写真が現れてくる、これは銀塩とは全く異なる写真の世界ではないか、とのこと。また、心拍数と瞬きの回数などを記録すると、その数値によって思い出とのシンクロがある、興奮が身体に表れるといったことです。そしてGPSのログをグーグルアースに乗せると、航路を含めてどこを移動したのかが分かるし、モデリングされている街がどこか、人々が何に興味を持って何に興味を持たないかを見ることができると。
 そして東氏によるツアーの狙いについての講演です。「当事者の声を聞き、統計に基づき、技術的に解決する――以外の何かについて考えるツアーなのです。」「チェルノブイリの問題とは想像力なのです。」反復不可能な事態が引き起こされた時、記憶するためには事実と想像力のどちらも欠けては難しい、ということは氏にとっての旅について底に流れる考え方なのだと思います。

posted by みなと at 22:15| Comment(0) | ダークツーリズム
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