2016年03月06日

三国志学会(第十回)京都大会に行ってきました。そのいち。

 三国志学会デビューです。いえー。一人だとなかなか行く勇気が出なかったのですが、羊子さんにお誘いいただいたので、こそっと末席に。
  狩野直禎会長のご挨拶は、ご本人の体調不良により欠席ということで無しで。司会の石井仁先生は飛行機が飛ばないというアクシデントにより、代理の方が急遽当日指名という、た、大変だなあ……。

 とりあえず、発表内容をメモがてらにちょこちょこ書いていこうかと思います。
 まずは、「党錮事件と三公九卿」並木淳哉(駒澤大学大学院修士課程修了)より。(敬称略で失礼致します。)
-----
 個人的なメモなので、妄想とかもするっと混ざりそうなのが怖いところ。

 まずはさらっと党錮の禁についての戦後の研究史についておさらい。メインは川勝義雄先生と矢野主税先生による論争史があり、そこから諸勢力についての研究がなされている、という流れでしょうか。清流派、濁流派と一言では言ってもそもそもの定義が論争を呼んで、さらにはこの二極構造に限らず、逸民的な存在もいたとか云々。党人、名士、士大夫、豪族等々イコールではないとなると、これらの用語が使いにくいですね……。
 発表のメインは後漢時代の三公の任免について、という理解。
 三公の任用については、和帝以降、河南伊以外の地方長官からの任用はなくなっており、だいたいは二千石の職から候補者を選び決定していると考えられる。また、桓帝以降は罷免後の再登壇も散見される。
 三公の離官については、死亡、病気以外に、前漢では宰相が災異の責任を負う例があったが、後漢においては、安帝より三公が災異の責任を負って免官する制度が復活。よって、後漢では、三公の平均在年数が三年に満たない。この免官は皇帝や専権者によって恣意的に利用される傾向があった。また政争にも利用されていたため党派の形成を促進する結果に。

 ……すみません、間が開いてしまったためにだいぶ記憶が曖昧に…。
 報告資料の図表がすごく便利です。後漢と魏の三公一覧がほんとすごいんですよ。これ、学会誌には是非載せてほしいですねー。
posted by みなと at 18:30| Comment(0) | 三国志関連の講演会
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。